亮介くんのおうちのベッドは当然のようにひとり用なので、ふたりで眠ると少し窮屈だ。それでなくても亮介くんは身体が資本の野球選手だから、毎日たっぷり休養をとってほしくてデートの日はなるべく早めに帰宅するように心掛けているのだけど、いつも新しく仕入れたというお得意の怪談を聞かされているうちに恐ろしくなって結局亮介くんのひとり暮らしのおうちに泊まらせてもらってしまうのである。

「……痛っ……? ……り、亮介くん?」

 またやってしまった。亮介くんと一緒の夜はできるだけすみっこのほうに寄って亮介くんにのびのびと寝て貰えるようにしているはずが、気がついたら快適に眠ってしまっている。それもこれも亮介くんの腕の中が暖かくって気持ちいいことを知ってしまっているせいだ。自分でも知らないうちに、引っ付きに行っているのだろう。床にでもなんでも、転がしておいてくれていいって毎回言ってるのに。
 あまりにもわたしが間抜けな寝顔をしていたのか、はたまた亮介くんが不快だったのかわからないがデコピンをくらった額を抑える。起こし方は乱暴だけど亮介くんはいつも寝起きでもかっこいい……じゃなくて。

「ご、ごめんわたしまた亮介くんのほうに寄ってしまって……」
「それは別にいいよ。でも」
「?」
「起きなくて大丈夫? 一限あるって言ってなかったっけ」
「!」

 亮介くんがシェルフの上に置いてある時計を顎でさす。モノクロのデジタル時計は、準備するギリギリの時間を示していた。

「お、お、……起こしてよお~~~!!」
「起こしたじゃん」

 確かにそうなんだけど、……確かにそうなんだけど~~! この時間だと髪とメイクはかなり適当というか、最低限しかできない。亮介くんとゆっくり朝ごはんを食べていってきますの挨拶をしたり駅までお散歩したりすることは許されないし、わたしの貧相な足だとダッシュじゃないと間に合わない。せっかくお泊まりさせていただいてる身、朝ごはんくらいは用意しておはようって亮介くんを起こしたかった……!
 ……まあ亮介くんの寝顔なんてあんまり見れたことないんだけど……

「右の後ろ、跳ねてるけど」
「えっ」

 急いで洗面所をお借りして、置かせてもらっているヘアアイロンでとっちらかってる髪をどうにかこうにかしていると不意に背中から声が掛けられた。たしか今日の亮介くんは二限からだと言っていたから、まだ寝ててもいいはずなんだけどな。起こしてしまった申し訳なさを感じながら身支度を整えていく。亮介くんはというと、その場に留まってじっとわたしの様子を観察していた。

「み、見られると緊張する……」

 亮介くんは鏡越しでもかっこいい。自動的に頬が緩んで中途半端な顔面で笑いかけてしまう。アイラインを持ったままへらへらしていると亮介くんも笑って、
「照れてるとこ悪いけどさ、時間大丈夫?」
 と返してくれた。

「……大丈夫じゃない!!」

 危ない危ない。油断しているとすぐ頭の中が亮介くんモードになってしまう。今は目の上にどれだけ細く真っ直ぐ線を引けるかに集中しなくては。
 
 準備を終えて、スニーカーを履く。ここから最寄りの駅までは歩いて十分、がんばって走れば八分だ。亮介くんが鼓舞してくれたおかげで、間をとって早歩きで行けそう……と以前プレゼントでもらった腕時計で時間を確認して挨拶しかけると先にねえ、と声がかかる。

「? な、に……」

 なんだろう。何か忘れ物かな? 振り向くと腕を引かれて唇が重ね合わされた。

「いってらっしゃい」

 あんまりびっくりしたから、目を瞑るのも忘れていた。ぱいぱち瞬きを繰り返すわたしに、ゆっくりと顔を離した亮介くんが満足そうに微笑む。ダッシュ決定だね、という一言も忘れずに。


 
 ど、どうしてわたしはこんなに足が遅いんだろう……! 全速力で走ったせいで、巻いた前髪はまっすぐに戻ってしまっている。ばくばくとうるさい心臓を整えるように大きく肩で息をしながらスマホを取り出して、無事駅に着きました! と亮介くんにメッセージを送り、顔を上げる。
 同じ大学だったら、一緒に通えたりしたのかな。ひとりで立つ駅のホームは朝の陽射しに照らされて眩しいぶん、ちょっと寂しい。
 一度くらいサボったって平気だと思う時もある。でも、亮介くんは何もない限り絶対にそうさせてくれない。
 受験の時だってそうだ。野球をするために大学とひとり暮らしのおうちを早々に決めた亮介くんと違って、わたしはギリギリまで進路を決めかねていた。亮介くんとキャンパスライフを過ごしたくて、同じ大学を選ぼうかなと零した時には「自分の人生、他人にケツ拭かせるんだ?」とバッサリ斬られてしまっている。
 亮介くんをよく知らない人はそれを冷たいと言うし、たまに彼氏と一緒に授業をサボる友達を羨ましく思わないかと言われると嘘になるけど、亮介くんは他人に厳しいぶん自分にはもっと厳しい。亮介くんのマメだらけのごつごつした手を思い出すと胸がぎゅっとくるしくなる。好きだなあと思う。

 ――リップ塗り直した?

 送ったメッセージはすぐ既読になり、返信が届いた。

「!」

 そうだ、リップ……! 急いでお手洗いに駆け込み、コスメポーチの中からグロスを取り出す。亮介くんとキスしたんだと思い返すと自分の唇を見るのがちょっと恥ずかしい。何も言ってないのに亮介くんからキスしてくれるのって、すっごくレアなのになあ。驚いてばっかりなのはもったいなかった。
 
 亮介くんの優しさは、わたしをお姫様にしてくれない。でもその代わり、ちゃんと自分の足で歩けるように背中を押してくれる。亮介くんもがんばってるんだもん。わたしもがんばりたい。胸を張って隣にいられるように。
 唇を上下に重ねて合わせてからお手洗いを後にするとちょうど電車がやってきた。よし。気合いを入れ直して、右足を踏み出す。今日が始まる。

20220109 / パーフェクトスター