「……なんか、妙に静かじゃない~?」

 収録を終えた楽屋は普段ならもっと賑やかなはずで、大抵その原因はおれのインスピレーションだった。ステージから得られる興奮や熱気は星屑のように煌めいている。そのひとつだって指の隙間から溢すことをしたくないから、そこにあるものを何でも利用して具現化して、ついでにその過程で眉毛を吊り上げたスオ~やらセナやらに怒られてしまうのが言わばいつもの流れなのだけれど、

「レオさんが静かだからでは……?」

 スオ~が呟いたのと同時に、その場にいた全員の眼がおれを見つめた。

 手の中には、収録前となんら代わり映えのしないスマホがひとつ。いつもセナから「携帯は携帯してくれなきゃイミないんだけど?」と刺々しい声で言われるおれにとって、珍しい光景と言えた。

「う~ん……」

 衣装も脱がず、楽屋のソファの背もたれに思い切り背中を預けながら画面をスクロールしていた。メッセージアプリのなかで、おれが二日前に送ったメッセージは既読にはなっているものの、返信は未だないままだ。
 思い当たる節はふたつ。まず、おれのメッセージがつぐみにとって返信不要だと捉えられていること。けど、それはない。つぐみは確かにプロデューサーだから連絡だけを送ってくることはあるけれど、確認のために返信は必須だし逆もまた然りだ。
 ふたつめは、身も蓋もないけれど――

「恋煩いかしら」

 向かいのソファで楽しそうに両手の指を組んだナルに話しかけられる。

「では次の曲はlove songですね!」
「失恋ソングかもね~」
「お前らなあ……」

 おれとつぐみの関係は極々一部の間では周知の事実だった。学園にいた頃からの付き合いだから当然と言えば当然と言える。アイドルとプロデューサーの交際は決して褒められたものではないけれど、当時から何やかんや言いつつこうして見守っていてくれる。まあどうせ、おれの世話係は人数が多いほどいいとかなんとか思っているんだろう。

「無視されてるんでしょ、れおくんのことだし」

 収録用のメイクを落とそうと楽屋に備付けられた洗面所と睨めっこしていたセナが振り返ったかと思うと、得意げに言い放った。そう、ふたつめの思い当たること。それは意図的に無視されているのだということだ。

「放ったらかしにしてるからじゃないの」
「いやっ、今回はしてないぞ!」
「どーだか? れおくんには前科があるからねぇ……」
「ぐっ……」

 自分なら大切な恋人にそんなヘマはしない、とばかりに続けるセナに、ナルが「あらあ~……」と相槌を打つ。

「でもまだ無視されて二日目だぞ、二日目! 何かあったのかもしれないだろ」
「二日で月ぴ~が根を上げるなんてどういう風の吹き回し?」
「普段のresponseもその位であれば助かるのですが……」
「まぁねぇ、でも女の子……とりわけ交際相手なら二日は少し長い時間よねぇ……」
「つぐみはれおくんと違って返信早いタイプだしね」
「誰かおれの味方はいないのかっ」

 おれが無視されているという状況が可笑しいのか、ああでもないこうでもないという憶測が弾み始めたところで今日のスタッフがそろそろ、と楽屋の閉め時間をすまなさそうに知らせに来たので、いじられるだけいじられて話はおしまいとなってしまった。



(…………これじゃご機嫌取りみたいか?)
 おれの心境とは関係なく、今朝の収録は何の滞りもなく終えられた。そのおかげで、この後はオフだ。レッスンもないこんな日は最小限の荷物で街を歩くのにうってつけだった。インスピレーションはわざわざ探さなくたってそこら中に散らばっている。

「お決まりになられたらお声がけくださいね」

 ショーケースの向こうで店員のお姉さんがにっこりと微笑む。散歩中、たまたま見つけたのがこのケーキ屋さんだった。番組収録の差し入れだったり、SNSで人気そうだったりといった派手さはないけれど、大通りをひとすじ裏に入ったところに佇むどこか懐かしい雰囲気のする店構えはつぐみがよく気に入りそうで、気がついたらその扉を叩いていた。
 陳列されている種類もショートケーキやチョコレートケーキ、モンブランといった一般的なものが多い。シンプルなものほど難しいのは曲作りと一緒だ。きっと自信があるのだろう、好感がもてる。

 そもそも、つぐみは何で怒ってるんだろう。
 学生の頃から、つぐみが怒っている姿はあまり見たことがなかった。元々の性格なんだろう。確かに繊細といえば繊細なところはあるけれど、どちらかといえば怒りよりは悲しみが表にでるタイプだし、もっといえば喜びだとか嬉しさとか、そういうプラスの感情で動くような人間だ。振り回される質ではあるが、余程のことがなければ他人に対して負の感情を抱かない。
 確かに連絡不精なのはおれのほうだけれど、最近はそんなこともなかったし、つぐみが塞ぎ込むようなことといえば……、と思考の渦に入りかけてああ、とピンときた。
(……こないだ、なんか失敗してたな)
 よく考えなければ思い出すこともないような小さなミスだ。メンバーに楽曲の送付をするもデータの変換ミスをしたのか開けなかったり、打ち合わせ前に資料をぶちまけたり。どれもこれも結果的には問題なく進んだとはいえ、つぐみの性格上不甲斐なく思っているに違いない。

「お決まりですか?」

 しばらく黙ってショーケースを眺めていたおれに、店員さんが話しかける。変装……とまではいかないけれど、キャップを被っていると表情も見えづらいのだろう。咄嗟に「じゃあこれと、」とショートケーキを指さした。ケーキといえば、つつぐみは決まってショートケーキなのだ。
 いちごと生クリームとスポンジの、奇を衒うことのないケーキ。どちらかというとおれは家族やメンバー、そのほか差し入れするときにはあまり選ばない。見た目も味も、もっとインスピレーションが湧いてでてきそうなケーキはほかにある。
 それでも。

 「一番好きなんです、これ」、そう言ったつぐみを思い出す。まだおれをレオ先輩と控えめに呼んでいたあの頃。学園を飛び出して事務所に所属した今、できる事もしなきゃいけない事も増えて格段に世界が広がった。けど、それは責任が増えたとも言える。ひとりで抱え込みがちなつぐみのことだから、少し疲れてしまったのだろう。その気持ちはよくわかる。
 それでも、おれはつぐみが必要だから。
 確かにつぐみのプロデュースは派手じゃないかもしれないし、失敗だってするし、おれの知らないところで心無い声を聞いたりすることだってあるのかも知れない。けど、どんなケーキ屋さんにもショートケーキがあるように、絶対に必要なものってある。安心を生む存在なんてのは、誰にだってなれるものじゃない。
 ご機嫌とりでもいい。先輩じゃなく、アイドルでもなく、恋人として頼って欲しいし、元気づけたい。笑って欲しい。胸が暖かくなったり、ぎゅっと掴まれたみたいになったり、そういう気持ちをおれに教えてくれたのがつぐみだから。
 店員さんがおれの選んだショートケーキとチョコレートケーキを丁寧に箱詰めしていく。慣れた手付きで流れるように会計を済ませるまで、この人は一体どのくらいのケーキを相手にしてきたのだろう。きっと途方もない数なんだろうな。つぐみだって、回数をこなすことによってきっと良くなる。学園でだってそうだった。経験がつぐみの背中を押してくれる、そんな瞬間をおれは見てきたつもりだ。

 店を出るとアンティーク調の扉についたベルが控えめに鳴った。その音に乗って、弾む足取りでつぐみの部屋に向かう。途中、大通りに出ればこの間おれが作った曲が流れていた。思わず顔を上げるとビルのモニターにモデルが微笑んでいるのが見えた。忘れてたけど、化粧品だかなんだかのがCMソングになったんだっけ。この曲、そういやつぐみが好きだって言ってたな。ついつい鼻歌で歌っちゃうんです、とかなんとか。今まで作った他の曲よりどこが秀でているのかわからないけど、おれの曲をすきだと言って目を細めるつぐみの表情を思い出すと、胸がこそばゆくなる。
 また何か閃きそうになって道を行く足を速めた。つぐみの部屋には紙とペンがたくさんあるから、どれだけ作っても平気なのをおれは知っている。
 きっと、おれひとりじゃこんなに溢れてこなかった。生まれてく色彩を五線譜に落として、つぐみの唇が弧を描くその瞬間が好きだ。例え今は歩くような速度でも、前に進んではいるから。ひとりでつくる音楽もいいけど、ふたりでつくる曲のほうがもっといい。箱の中にお行儀よく並んだふたつのケーキのようにおれたちは性別も年齢も職業も何もかも違うけど、でも気持ちは分かち合うことができるはずだ。
 今から向かうという連絡をするのは忘れたまま、ケーキを持ってない方の手をポケットに突っ込めばお姫様の待つ部屋の鍵が小さく音を立てた。

20211025 / 咲くための第一歩
(bouquet再録)