カフェタイムに入ったモストロ・ラウンジの控え室はランチの騒が嘘のように静かで、それが余計に監督生をいたたまれなくさせた。テーブルを挟んで向かいに座るジェイドがニコニコと口元に笑いを浮かべているのが、とてもよくない。その表情が無言の圧力となって監督生に重くのしかかる。

「まさか僕が想像上の人物と交際していたとは……衝撃的な事実です」
「うっ……すみません、つい……」

 事の発端はランチタイムの出来事だった。マジカメでの宣伝効果もあってか、この所モストロ・ラウンジは学園外の人間の利用率が伸びている。もちろん料理の味やいわゆるマジカメ映えすると言われている内装がその一端を担っていたものの、大半の客は「店員目当て」だと誰もが理解していた。彼女たちの客単価は決して高くないが、客は客だとするアズールはじめ、異性にちやほやと声を掛けられて喜ぶ寮生が生まれるのもここ男子校では当たり前のことで、とにかく、お客様は神様ですとばかりに誰もを丁重に扱うマニュアルがモストロ・ラウンジには出来上がっていたのである。

 そこへお小遣い目当てにとアルバイトを始めたのが監督生だ。程なくしてジェイドと監督生は交際を始めたのだが、恋人として扱われることにようやく慣れ始めた監督生にとって、ジェイドの周りに彼を恋愛対象とする異性が多数存在するという事実は心にもやをかけるには充分な理由だった。

「心外です。僕達あんなことやこんなことまでした仲じゃないですか」
「わーっ!! 言わなくていい! 言わなくていいですから!」

 だから、つい、監督生は言ってしまったのである。あの人って彼女いるんですか?と愉快そうにジェイドを指す女性客に、さあ?知りません、と。まさか、その背後にジェイド本人がいるとはつゆ知らず。

「なるほど。監督生さんは心を伴わない、身体だけの後腐れのない関係が好みでしたか」
「ちっ……違います!」

 いないもの扱いされてしまったジェイドは揃えた指先で涙を拭くかのごとく目元を抑える。監督生に、本当にジェイドを傷付けるつもりが無かったかと言えば嘘になる。が、それが八つ当たりでしかないということも充分理解していた。
 けれど、ウェイターとして男子制服を着用し必死になって給仕する自分と、優雅に客席に座り身なりを整えて真っ向からジェイドに向かいきゃあきゃあと類を桃色に染める女の子達。どちらが愛らしく、魅力的に見えるかなんて誰が見てもわかり切っている。仕方ないとは思うものの、羨望は嫉妬を生み胸に雲をかけた。世の中には、恋は女の子を綺麗にする――なんて言葉もあるというのに、ジェイドがどんな風に異性を愛するのかを知ってしまった監督生は、既にそれを手放せなくなっていたのだ。

「ちょっと、……面白くなかっただけです」

 ジェイドから視線を外した監督生が、だからつい……と続ける。「面白くなかった?」意外そうな顔をして聞き返したジェイドだったが、その口元には喜びが見え隠れしていた。
 ――好きな女が、嫉妬している。それも、自分のせいで。不愉快に思う男が、この世界にいるだろうか。いやもしかすると陸の世界ではそんな想いをさせた事に対して殊勝に謝る輩もいるにはいるのかもしれないが、そんな事はどうでもよかった。ジェイドにとって、好きだと告げ、唇に触れ、身体を重ねてもその反応の薄さにいまいち掴み所のなかった監督生が、今、始めて、まぎれもなく! 自分への好意を頭にしているのだ。監督生を抱きしめてしまいたい衝動がジェイドを襲う。しかし向かいに立った監督生は何やらひとりで答えを出したようで、ぐっと唇を結んだかと思えば、

「……慣れます! 先輩がモテるのは……わかりますし、ここで働く以上どうしょうもないことですから!」

 と真っ直ぐな瞳を携えて高らかに宣言してみせた。
 この健気な恋人が、自分だけのものだなんて。
 原因となった言葉は、監督生がつい零してしまったということくらいジェイドは理解していたし、少しからかってやるつもりだったのだが思わぬ収穫を獲た。本来なら、そんな仕事辞めて欲しい、仕事と私どっちが大事なのなんて面倒な質問をしたって許される関係性なのだが、監督生は嫉妬心をぐっと我慢してみせたのだ。ジェイドが好きだからという理由で。これを愛おしく思う他に何があるというのだろう。

「この後、どうします? アズールから新メニューのアイデアを求められていて、よければ手伝っていただけると……」

 ジェイドは、監督生も共にディナータイムのシフトに入っていないことを既に把握している。愛を確かめあった恋人同士、少々自己評価が低めな監督生を、新作考案と称し自室へ連れ込んで自分がいかに愛おしく思っているか朝までかけて骨の髄までたっぷりと思い知らせてやろう、と思ってのお誘いだったが、

「あっ、ごめんなさい。この後、約束があるんです」

 と監督生は間髪入れずにその提案を断った。

「……約束」
「はい。みんなでテスト対策をしようって」

みんな。監督生がそう称すのは、恐らくグリム、エー
ス、デュースの三人に違いなかった。そこにジェイドが入っていないのは監督生から見て特別な存在だからだったが、それにしたって面白くはない。

「へぇ……素晴らしい心掛けですね」

 勉強ならそんなお気楽三人組ではなく自分を頼るべきだろう!
 と、ジェイドは監督生に向け叫んでやりたい気持ちになったがなんとか表面上は笑みを崩さずにいることができた。一方、気持ちを吐露してすっきりした監督生は、ジェイドの顔に青筋が立っているのなんてお構い無しとばかりにカフェエプロンを畳んで仕舞い、帰り支度をし始める。その姿に思わずジェイドは胸ポケットから小瓶を取り出しその中身をシュッと監督生の横顔に向かって吹きかけた。

「ぶわっ!? 何!? 何ですか!?」
「香水です。労働後の汗は等しく尊いものですが監督生さんは女性ですから、匂いは少々気にされた方がいいかと思いまして……」
「わ、そんなに汗臭かったですか?ありがとうございます!」
「礼には及びません。お気を付けて」

 はい、じゃあまた! と颯爽と部屋を後にする監督生の背中をしばらく見つめていたジェイドだったが、今夜はキノコパーティだ! ……、と新作メニューを考える事を放棄し、自身の片割れへの八つ当たりを決心するようにズレた帽子を脱いで力強く握り締めた。

 一方。テスト対策会としてオンボロに集まったいつものメンバーの中で、グリムが早々に監督生の異変に気付いた。

「なんか磯クサイんだゾ……」

 と顔を蟹めるグリムに対して、

「ああ、香水なの。ジェイド先輩の」

 監督生はあっさり返答してみせる。へえ、と納得したデュースを横目に、その意味をひとり理解したエースは(おっかね~…)と明らかな蜜制を恐ろしく思いつつも、なにもわかっていなさそうな監督生はじめもろもろの反応には流石にジェイドに同情するのだった。

20xxxxxx / セオリーは裏切らせて