オンボロ寮の扉は建付けが悪い。いつだって隙間風が入り込んでいるし、少し触れれば耳障りな音がする。
 さっすがゴーストの住んでる寮だよなあ、とできる範囲で綺麗にしているらしい手すりに指を滑らせながら階段を上がった。この先にあるのは談話室だ。薄らと明かりが漏れる扉の中では監督生とグリムが山のような課題と格闘しているか、何をするでもなく過ごしているはずだろう。今じゃすっかりこの建物の内部にも詳しくなってしまったオレにとって、夜のはじめという時間にここを尋ねるのに躊踏する理由はひとつもなく、借りっぱなしだった教科書を片手に持ち談話室のドアに手を掛ける。

「おーい、監督生~」

 監督生ってば妙~に真面目だから、出された課題はちゃんとやろうとするんだよなあ。別に教科書を返すのは明日、会ってからでも良かったけど、課題が出来なかったと恨まれるのは面倒だった。返しに来たぜ、といつもの調子で入った部屋の先で、オレはまるで12時を知らせる時計の鐘に頭を殴られたような衝撃を受けることとなる。

「…………ハ?」

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた制服から着替えようとする監督生だった。……それは、まあ、いい。グリムと合わせて二人しかいない寮だ。談話室で着替える事だってあるだろう。問題は、その監督生に胸が――……というより明らかに、監督生が女の身体をしてるってことだ。

 目を白黒とさせるオレとは違って監督生はハタ、と止まったまま全く動じない。その姿に言いたい事が――グリムに見られてんのはいいのかよとか下着の色は白なのかとか結構控えめなサイズだとか――が駆け巡るけれど、実際に声に出たのはこの一言だった。

「おっ、……お前、お、女……っ、モガッ!?」

 けれどそれは口を無理矢理押さえられたせいで満足に最後まで言わせてはもらえなかった。つーか、はやく、上着を、着ろ! オレに近づく前に!

「ごめん、隠してたわけじゃないんだけど」
「じゃあなんで思いっきり口抑えたんだよ……、あーまだ顔痛えわ」
「それはエースが大声だそうとするから……、結構外に響くんだよねここって」
「オレのせいかよ」

 オンボロ寮には寮服がないため、ようやくTシャツとジャージという今から飛行術の授業に出られるくらいラフな格好になった監督生が、ソファに座って腕組みをしているオレの隣に腰を下ろす。眉尻が下がったその表情はバレたことに対して困っているというよりは、オレの機嫌を伺っているようだった。

「……で、お前本当に女なの?」
「うん」

 この目でしっかり見てしまったわけだから改めて問い詰める必要もなかったけど、こうもあっさり認められては拍子抜けする。普通、もうちょっと時躇するもんじゃねえの? 呆気にとられるオレを前に、今度は監督生が話し始めた。
 見た目が見た目だから、誰も何も疑わなかった事。その内にタイミングを逃してしまった事。でも言う必要もないから言わなかった事。学園長は知ってるという事。

 ……いや学聞長は知ってるならせめて扉くらい直してやれよ! 優しいんじゃねーのかよ! と優しかったことなどない学園長に向かって心の中で悪態をつく。
 そんなオレをよそに監督生は、やっと誰かに話せるといった様子で饒舌に語り続けていた。
 確かに、改めてこうして見てみると男というには華者なつくりをしているような気もするけど、この学園にはエペルのように女に間違われるヤツだっているからその性別に疑問を持ったことすらなかった。そもそも、猫だって入学できるんだから女がいたって不思議じゃない。こいつらは二人で一人分だし。なんでもありなここの生活にすっかり慣れてしまったオレはその事実をありのまま受け入れる。

「……でも、バレたのがエースで良かった」

 オレが至って平常運転なのに安心したのか、監督生はほっと胸を撫で下ろすように呟いた。

「他の人はなんとなく身の危険を感じるし」

 ホラ、なんだか得体の知れない契約を追られたりとか脅されたりしそう。そう言う監督生は、学園生活を共にする数々の厄介な人物を思い浮かべているのだろう。何となくムッとする。
 それってまるでオレが安パイだって言ってるみたいじゃね?
 監督生のひとりや二人、オレも利用しようと思えばできるんだけど。

「……知らねーぞ。こんな面白そうな事、オレだって黙ってられねーかも」
「エースはそんな事しないよ」

 ちょっとからかってやろうと発した言葉は間髪入れずに返されて、そのなんの疑いの色も混じっていない監督生の瞳にオレの中の毒気があっさりと抜けていく。

「ふーん。結構信頼されてんねオレ?」
「友達だからね」

 せめてもの僧まれ口も、監督生には全然響いてない様子だ。「でも、確かに扉はエースの言う通り、学園長にお願いして治してもらおうかな」と続ける監督生の口元が微笑みに形作られていくのをぼうっと見つめる。
 トモダチねえ……。
 オレは後頭部をガシガシと掻くように撫で付けた。どうして恥ずかしげもなくそんな単語を発せられるわけ? 胸の奥がこそばゆくなって、「そういや教科書」と、ようやく本来の目的を口にすることで緩みかけた頼をごまかすのが精一杯だった。

 ――……と、その時のオレは少し先の未来で、このむず痒い「友達」という単語にまさか自分が苦しめられることになるとは知る由もなく、ましてや想像さえつかなかったのである。ちくしょう。

20xxxxxx / お友達から始められない