玄関にお父さんのものではない男物のスニーカーを見つけた時、ううん、もっと前から――そう、春大の抽選会の会場で目が合った時から――嫌な予感はしていたのだ。

「や〜っと帰ってきた。薬師って今の時期も練習やってんだね」
「な、……なんでいるの!?」

 私の部屋で足を投げ出して座る鳴に、思わず声を張り上げる。
 目の前にいるこの男、……成宮鳴、は所謂幼なじみというやつで、私のお父さんがリトルリーグの監督をしている関係からか、物心着く前からこうして隣にいた。
けれどそれも去年の春までの話で、今や鳴は甲子園常連校である稲川実業高校にスカウトされ、寮に入って野球三味の毎日を送っているはず……なのに。

「今日休みだったから帰省してんの。つぐみのおばさんもおっちゃんも甲子園来てくれたでしょ?お礼して来なさいって母さんがうるさかったんだよね」

 お母さんが出したのだろう、ローテーブルの上のクッキーをひとつ摘んで鳴が言う。ていうかお母さん年頃の娘の部屋に勝手に人を上げてる所かおもてなしまでしちゃってるじゃん……。
 両親ともに鳴のファンだから仕方ないのかもしれないけれど。ため息をつく。昨夏、早速鳴が甲子園に出場すると聞いて我が家はそれこそ自分の息子かの如く喜んでパーティをしたくらいだ。
 そして、その鳴に敗れてしまったもう一人の幼なじみは連絡ひとつ寄越さないんだから、鳴はまだ良く気の付く優しい男なのかもしれない……

「……でさあ、つぐみは俺に言う事があるよね?」

 ……というのは前言撤回する。強豪校で一年からレギュラーを獲る男が一筋縄でいくはずなかった。貼り付けたようなわざとらしい笑顔を浮かベ、立ち上がってじりじりと距離を詰めてくる鳴に後ずさる。
 お、おかしい。なんで私は自分の部屋なのに、こんなに追い詰められてるんだ。

「ご、ごめん。甲子園見に行かなかった事は謝るから」
「それもだけど。他には?」
「……お、おかえり~……」
「違う。ねえ、なんで薬師でマネージャーやってんの?」

 う。あからさまに答えに詰まった私に鳴は不機嫌を
隠さず唇を尖らせた。

「……言うと思った………」
「当たり前じゃん! 目合ったの忘れたの!?」
「そ、そんな事もあったね~……ははは……」
「誤魔化しても無駄! ねえなんでマネージャーやってんの」

 鳴の女の子顔負けの大きな瞳が私を捕らえる。すでに壁際に追いやられたわたしはさながら獅子に食べられる五秒前のようだ。逃がすまいと顔の横に置かれた手は流石ピッチャーとも言うべきか大きくて、観念するほかなかった。

「……誘われて……断り切れなくて、」
「俺だって誘った!」
「いやあ~…稲実に入るには偏差値がちょっと」
「死ぬ気で勉強してよ!」

 とうとう鳴は私の肩にその頭を押し付けてグリグリと左右に振り出す。こうなるって、しつこいってわかってたから絶対鳴にはバレたくなかったのに……、心の中だけで溜息をついていると、ぽつりと鳴が眩く。

「……つぐみを、」
「ん?」
「……つぐみを甲子園に連れてくのは俺だって決めてたのに…」
「………………」

 その真っ直ぐとした言葉が、しょぼくれた姿が私の胸を打ってしょうがない。昔からそうだ。もう一人の幼馴染がそうじゃないぶん、鳴の素直な物言いを前にすると私は困ってしまう。赤ん坊のような、素直でかわいいわがまま。

「俺、つぐみは一也の事が好きなんだって思ってた」

 高校生だというのに私達はいつまでも距離感が子供の頃から変わらない。こうして抱きしめるみたいに腕を回して鳴の柔らかな髪に触れることだって、何の他意もなくできる。そんな風に慰める……というより宥めようとした時だった。零された一言にその手が止まる。かとおもうと突然頭が離れ、ガシリと両肩を掴まれてしまった。

「決めた!やっぱり俺がつぐみを甲子園に連れてく!青道も薬師も叩きのめすから、見てて!」
「は?」
「そうと決まれば練習だ! 帰ろっと」

 呆気に取られている私を余所に、鳴はニィと唇の片端を上げて笑い、背を向けて玄関へと向かう。

「つぐみが俺の所に来ればよかった~って泣きついて来た時は、キスくらいしてあげるよ!」

途中、振り向いてそう告げた鳴に、私だって負けないから!、と口を開きかけた頃にはもうすっかりとこの嵐のような男はお母さんに挨拶をし、家を後にしていたのだった。

20xxxxxx / 愛で手懐けて
(御幸 真田 成宮の◽︎ 成宮編)