本丸に戻った頃には向こうの空がすっかり暗くなっていた。それもこれも、万屋に行くのなら一緒に行きたいと半ば無理矢理着いてきた三日月が寄り道に寄り道を重ねたせいだ。当然、審神者生活の中で唯一と言っていい癒しの時間である晩御飯の時間は終わっている。
 はあ。歌仙がより分けてくれていた食事を一人で済ませたあと、自室に戻りながらため息を吐く。
 ――今日はバレンタインだったのになあ。
 頭上では月が輝きはじめていた。本当なら、晩御飯の時間に広間でみんなにチョコレートを配るつもりだったのに。この厳しい世界で、私が私だけの手でできることは限られている。だからこそせっかく人の身になったみんなに、楽しいことも覚えてもらいたかったのにな。
 でも、清光が配ってくれたみたいだし。晩御飯と共に置かれていたメモの端と端を重ねてポケットに入れる。みんなの反応はまた明日聞けばいっか。そう折り合いをつけていたら、離の鍛錬所から長谷部が出てくるのが見えた。おもわず大きな声でその名を呼んで駆け寄る。

「主」

 私に気づいた長谷部はぱっと顔をあげ、すぐに目を細めた。端正な顔立ちが綻ぶ瞬間、私の胸までほっと緩む。思い切り胸元に抱きついても揺らがないどころかしっかりと受け止めてくれる、確かな強さが好きだ。

「長谷部、バレンタインのチョコレート貰った? おいしかった?」

 ただいまとおかえりの後、いちばん知りたかったことを尋ねる。恋仲である長谷部の反応は特に楽しみにしていた。きっと喜んでくれるだろうと期待も含め。

「歌仙に手伝ってもらって作ったんだよ。おいしかったら来年も作りたいなって」

 まるで誉をねだる短刀の子達のようなしぐさで長谷部の腰に手を回し反応を窺う。……も、当の本人は微妙な表情をしていた。

「……長谷部……?」

 もしかして、美味しくなかったんだろうか。刀にチョコレートはちょっとハイカラすぎたのだろうか。急速に募った不安が喉から出かかった瞬間、長谷部が口を開く。

「美味しかったです、とても」
「そう……そっか」
「ですが」
「ですが……?」
「……ああいったものは、俺だけに渡してくれるものだと」

 言いにくそうに視線を外した割に、言葉にははっきりと嫉妬が浮かんでいた。

「ごっ……ごめんね長谷部ごめんね!! わ、わたしそういうことに頭が回らなくて、えっと」

 さあっと後悔がつのる。弁解の余地もないけれど、ぎゅっと腕の力を強めた。ぎゅうぎゅう、ただ一生懸命に好きだよと伝えるみたいに。
 長谷部は、すぐにわたしの頭にそっと手を滑らせてくれた。でもそれは、わたしの気持ちが伝わったというよりどこか諦めたような手つきだった。

「わかってます。それが俺の主なので」

 微笑みが苦しい。頭が回らなかったんじゃない。甘えてたんだ、長谷部の優しさに。
 長谷部はいつだってわたしの前では紳士であり、模範的な刀だった。本丸にいるみんなを平等に扱うわたしのことを、それでいいといつだって肯定してくれた。そんなところに惹かれて、でも、だから恋仲になってもずっとそのままでいてくれると思い込んでいた。
 いちばんになりたいなんて、そんなの、きっと誰だって持っていて当たり前のきもちなのに。

「……長谷部」
「はい」
「もうちょっとわがままになっていいよ」

 それでも主と呼んでくれる長谷部の胸にとす、と頭を預ける。心臓の音が聞こえたらいいのにな。長谷部のほんとうがわかればいいのに。

「困らせますよ、きっと」

 きっと眉を下げて笑っているのだろう。どこまでも月夜に溶けていきそうな優しい声色の奥を覗きたい。
 いいよと言えば、このどこまでも忠誠的なかたなはどんな顔をするのだろう。
 月明かりが長谷部の髪を銀にも金にも照らす。今朝積もっていたはずの雪は既に溶けて、露に濡れた草木の緑はどこかいのちを感じさせた。手を伸ばせば届く位置に春があるのだ。

20xxxxxx / どこまでも焦がされている