よお、と挙げた右手は学校で見るのとなんら変わらないのに、私服というだけでどうしてこんなに緊張するんだろう。マフラーひとつ着けず、ダウンジャケットとジーンズだけの真田はシンプルを極めている格好だというのに似合っている、としか言い様がないのだからずるい。
 一応わたしだって、下ろしたてのスカートとニットを選んだのだけれど、些細な努力は真田の前に霞んでしまうのだった。どこか隣を歩くのに気後れしながら、待ち合わせていた駅の改札を出たわたし達は神社へと向かう。お正月を迎えたばかりの参道は人が多く、簡単にはぐれてしまいそうで、並び立つ屋台に目移りすることもせず、わたしは半歩先を歩く真田だけを見ていた。

 ――こんなのなんだかデートみたいじゃないか。
 つい周りの目が気になってしまう。人混みからあたまひとつはみ出た真田はどうしたって目立つし、クラスのみんなや野球部のメンバーに見つかったらどうしよう。
 二人っきりだなんて、言い訳のしようがない。制服だったら隣を歩く理由はなんだってあるのに、私服だとどうもうまくいかない。どうして誘われた時に簡単に頷いてしまったのだろう。マネージャーになったのもそうだけど、わたしは真田に押されると滅法弱い事をそろそろ自覚しないといけない気がする。

 鈴を揺らして両手を合わす。願うのはまず野球部の事だった。それは、薬師の。あと最後に幼なじみたちのことも。ゆっくりと目を開ければ先に終えていたのか、真田がわたしの顔を覗き込んでいたから思わず片手の甲で顔を隠す。

「何願ってた?」
「……野球部のこと」
「ヘー、さすがマネージャー」
「からかわないで」

 行きと同じ道を歩きながら答える。ショートブーツが砂利道に頼りなくて、こんな時もし、恋人だったら手を繋げるのかな、とかどうしようも無いことを考えた。真田がわたしに構うのは、一也と鳴の幼馴染だからだということは重々わかっていながら、一緒に過ごす内にだんだんその境界線が暖昧になって、ふと、わたしだからだといいのになんて願ってしまいそうになる。

「……そっち、電車何分?」
「三分後に来るみたい。真田は?」
「こっちは10分後だな、結構長い」
「そっか」

 駅について、改札を通ってからスマホで互いに時間を確認した。何でもない会話はすぐに途切れてしまって続かない。いつもは真田が話題を振ってくれるのに、と気付いたのは後になってからのことだ。「…なあ、」と改めて話し始めた真田の顔が、真剣だった事にも。

「家、帰んだよな」
「え?うん」

 なんでそんなこと、言いかけて、口を際む。わたしの乗る予定のホームに電車が滑り込んで来た音とアナウンス、あと真田がわたしの手首を掴んだから、かき消された、と言った方が正しいかもしれない。

「……誘った時、さびしーからっつったじゃん。それは本当だけど、でも、ほんとは好きだから。一緒に出掛けたかった」
「え……」

 その眼差しが、わたしに何も言えなくさせた。冬のはずなのに真田の手は熱を持っていて、時々指が動くと、マメがあたって胸が甘く傷んだ。あの、ボールを掴む手が今、わたしに触れている。

「信じてないだろ。そんなに信用ない?俺」
「そ、んなこと……で、でも急すぎてあたまが、とりあえず、離して欲しい…」
「無理。だって逃げるだろ」

 う、と口篭ると真田は頬を弛めて笑った。見透かされてるという事実に狼狽える。ごまかしが効かない。

「あのさ、俺、誰にでも言うほど暇じゃないんだわ」

 知ってる。知ってるよ、真田がどれだけ、真剣に野球に向き合ってきたか。ごめん、と口を開きかけて、でも今そう言ってしまうとなんだか違う意味に取られてしまいそうだから、唇をきゅうと結んだ。

「篠村の事、めちゃくちゃ好きだよ。帰したくないっつったら困る?」

 記憶の中の男の子の声って、こんなに低くなかった。真田の声がわたしの鼓膜を震わせて、耳が熱い。わたしの知ってる恋は、野球は、もっと苦くて頑なだったはずなのに、真田の大きな手が、熱い瞳がどんどんそれを解いてく。乗る予定だった電車の、発車を知らせるアナウンスが流れているのを、どこか遠くの出来事のように聞いていた。次の電車が何分後に来るのかはわからない。

20xxxxxx / 僕ら歩けば運命に出会う