「あれ? 鳴さんまだっすか?」
ユニフォーム姿となった多田野くんが、きょろきょろと視線をさ迷わせながらわたしの背中に問いかける。部室を出てすぐのところに水道があるのはスポドリ作りに便利だけれど、すぐ話しかけられてよくない。
「そうなの。呼び出されたんだって」
粉末の欠片まで入れきった後の袋を丁寧に折り畳みつつ、振り向かないままで答える。
「呼び出......っ、鳴さん何やらかしたんすか?」
「やらかしたんじゃねーよな、告白だよ、コ・ク・ハ・ク」
ずい、と半裸のカルロスがわたしと多田野くんの間に割って入った。
告白。その単語に、隣で多田野くんが露骨に肩を跳ねさせる。わたしはそれを無視するように「ちょっと、脱ぐなら部室に入ってからにして!」と叫んだ。この間テニス部から苦情が入ったばっかりなのに。一体、どうしてわたはさが高校生男子の服の着脱にまで世話を焼かなきゃいけないのだろう、そしてどうして「今日放課後女子に呼び出されたからちょっと遅れる〜」と部員の欠席・遅刻の管理までしなければならないのだろう。ただのマネージャーなだけなのに!
「......煩い......」
わたしがカルロスの背を押しているのを横目に、白河がスタスタと通り抜ける。今日のレギュラー陣を取り纏めるのは大変そうだと福ちゃんに心の中で合掌する。
稲実野球部は曲者揃い。その評価は正しい、と思う。今だって右で左で賑やかなのだが、これで一番騒がしい奴がいないのだから。
普段なら、鳴は誰よりも早く部室に来て練習の準備をしている。それこそ、福ちゃんと張るぐらいに。だから、最初は告白で遅れる、の意味がわからなかった。野球以外に優先することなんてあったんだって。でもそのうちいちいち報告されるのではいはい、と流すようになってしまった。
「やあやあ皆の衆!エース様の遅れての登場に痺れを切らしてないかね〜?」
部室前で騒いでいると、件の人物が満面の笑みを携えて右手を挙げながらやって来た。ヒュウ、 と口笛を鳴らす半裸のカルロスの隣で白河は舌打ちを行い、多田野くんだけが「っす!」と頭を下げている。
「別にまだ開始時間になってないし、遅刻ではないけど」
「ね、ね。なんで俺が遅れたか、知りたい?」
「別に」
「告られたんだろ?」
「先輩、そんなハッキリと……」
「ご名答!いやあ困っちゃうよね〜、夏前の忙しい時期にさ〜?」
「……そう思ってるなら早く準備しなよ……」
白河が吐き捨ててエナメルバッグを肩にかけ直すのをよそに面白がっているのだろう、カルロスが続けざまに尋ねる。
「で?エース様はなんて返事したんだよ」
「......どうでもいい......」
「ふっふーん、どう思う?」
わたしは白河の意見に完全同意で、さっさとグラウンドに行こうとドリンクホルダーの蓋をひとつひとつ閉めていた。なのに、隣にいた多田野くんが「どうなんすか……!ねえ篠村先輩も気になりますよね!」と絶妙に会話のボールを投げてくる。初夏の爽やかな陽射しが後輩の眩しい笑顔に反射した。絵に描いたような純度百パーセントの輝きを、無視するのは心苦しい。
「……そうだね、」
わたしがそう呟くと鳴はずい、と頬を寄せますますにっこりと笑ってみせる。どこの誰だか知らないけれど、一体この人の神経を逆撫でするのが趣味の自己中心男の何に夢を見ているというのだろう。この、満足そうな表情ったら。どうせ、わかってるのだ。次の言葉なんて。
「教えてあ〜げない!ねえつぐみ、遅れた分居残り練習付き合ってよ!」
「ヤダよ」
「甲子園行こうって俺らを支えんのがマネージャーじゃないの〜?」
「甲子園行きたいならさっさと着替えてグラウンド行って!」
やっぱり。まるで勝利を収めたかように、未だにやにやしている鳴の背を軽く押して、部室へと促す。鳴、カルロス、白河の三人が中に入って扉を閉めたのを確認して、大きく溜息をついた。
最後の夏だ。こんなことで心を乱している場合じゃないのに。
切り替えるため、わざとよいしょと呟く。ドリンクを両手に持つと、すかさず多田野くんが手伝います!と言ってくれた。どこまでも純粋な優しさを持つ後輩のお言葉に甘えて、片手 分をお願いする。
「……鳴さん、本当はなんて返事したんすかね……」
「どうせオッケーしてないよ」
「え、なん……」
「だって鳴の恋人は野球だもん」
だからきっと、誰の告白にも頷かないと思う。
それは、自分自身に言い聞かせているようだった。そうっすかね、と腑に落ちない様子で素直な言葉を返す多田野くんがうらやましい。こんな風に素直になれたら、わたしもあの自己中心男に夢を見ていることを認められたり、放課後呼び出したりできたのだろうか。
祈りのような、ただの願望のような言葉は誰にも受け止められないまま、ずっと宙ぶらりんだ。
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「……お子ちゃまだねえ、キングの名が泣くぜ。そろそろ見せびらかすのも逆効果だろ」
「うるさいな〜、オトしがいあるじゃん。ヤキモ チひとつ妬いてくんないなんてさ!」
「……脈なしの間違いだろ……」
20xxxxxx / 素直になる呪い