「……痛〜……」

 知らないふりをしていた右足首の痛みが限界を迎え、とうとうしゃがみこんでしまった。体育倉庫に運ぶ予定の得点パネルが乱雑に私に寄り添う。

 (借り物競争の時だな......)

 捻ったとしたら心当たりはそこしかない。ゴールした瞬間はアドレナリンが出ていたのだろう、今ほど痛みを感じなかったから放っておいたのが仇となった。少し力を入れただねでズキッと衝撃が走り、思わず眉根を寄せた。
体育大会は午後になり盛り上がりも加速している。花形であるリレーもこれからだし、委員会としてはサボっているわけにはいかない。幸い出る競技はもうないものの。

「何してんの?」 

 保健室に行くか否か。行くとしても、まず得点パネルは運んでしまわないといけない。しゃがんだままでいるも、ふと大きなスニーカーが私の目の前で止まって頭上に影が落ちる。視線を上げると、真田がそこに居た。

「足痛えの?」 

 豪快に見えて、妙に聡い真田は一瞬で私の状況を察知したのか、同じように目線を合わせ顔を覗き込んで来た。流石に真田に足を痛めたと言うのは気が引けるけれど、今ここで嘘を付いた所でどうしようもない。コクリと頷いて答える。

「動けねえ?」
「大丈夫......と言いたいところだけど、パネル運ばなくちゃいけなくて」
「篠村って係だったっけ?」
「今目の前にいる人にじゃんけんで負けたんですけど……」

 恨めしそうな視線を投げると真田は、ははっと 笑って後頭部を掻いた。ジャージの首元でゆるく結ばれたハチマキが揺れている。
 大変で有名な体育委員会の座を巡り、クラスで真田とじゃんけん対決となった時は流石にエースにそんなことさせてる場合じゃないかと自分を納得させたけれど、こうもすっかり忘れられると腹が立つ。もう頼まれたってゼッケン付けてあげないでおこう、と胸の中で拳を握った。

「あれ、先輩ら何してんすか」 
「おっ、三島それ運んでくんね? パネル」
「パシリじゃないっすか」 

 丁度いい所に。と真田が笑って通りすがりの三島くんを手招きした。わたしがちょっと、と口を挟む前に未だに地べたに置か れたままの得点パネルを指差す。 

「俺はこっち運んどくから」 

 エースにも後輩にもそんなことさせられるわけがない。大丈夫だから、とその提案を遮るように言いかけた私の視界が変わる。

「なっ……ちょ、降ろして!」 

 真田が、所謂お姫様抱っこという姿勢でわたしを横抱きにしたのだ。隣で三島くんがヒュウと口笛を吹く。

「んじゃよろしく」 
「ばっ、やめ、」

 膝裏に滑り込まされた腕や腰に回された手の力強さに、物凄い速さで顔が赤くなるのが自分でもわかった。周囲にいた人の視線も自然と集まる。だいたい、そうでなくとも真田は目立つというのに。

「真田! ホントやめてってば歩けるから!」
「捻挫はクセになると大変なんだぜ、知ってるだろうけど」
「わ、わかったから、保健室行くから!」
「暴れんなって」
「聞いて!」

 抵抗虚しく、真田はわたしを抱いたままスタスタとなんでもない様子で歩き出す。すれ違う後輩やら同級生やらが小さく黄色い声を上げるのが、耳に届いた。最悪だ。せっかく軌道に乗って応援してくれる人が増えた野球部に波風を立たせたくなかった。真田に密かに恋心を抱く女の子だっているだろうに。

「真田! ほんとに、足に良くないよ!」
「誰の?」 
「真田の!」
「こんぐらい平気だって。つかそれを心配するなら大人しくしてくれると助かる」
 
 困ったように笑われて、ぐっと唇を結んだ。そんなこと言われたら何も言えないじゃん。ずるい。
 抵抗していた拳を下げ、真田のジャージの袖あたりを指先で掴む。距離が近い。真田の匂いがする。歩く度同じ色のハチマキが真田の首元で揺れるのが視界に入って、胸が苦しい。
 部員とマネージャーでなければ、同じクラスでなければ、真田の視界に私が入ることなんてなかったはずだ。こんな風に優しさばかり享受しては、うっかり壁を取っ払って、その首に手を回してしまいたくなる。 

「……あんまり優しくしないで、心臓に悪い」
「何で? 好きな子には優しくしてえだろ」

 太陽を背にしたその笑みの、眩しいことといったら。
白旗を上げまいとするなけなしの抵抗はもはや形をなしていなかった。緩んだ心の隙に真田の優しさが入り込む。

20xxxxxx / 手取り足取り