名前が呼ばれた気がして、振り返ったら目の前に何かが飛んできた。咄嗟に手を出すと、投げられたとは思えないほど行儀よく板チョコの箱がわたしの手に収まる。

「やるよ」

 投げた張本人である真田が、昼休みの喧騒をかきわけて廊下の少し向こうから手を上げた。さすが我が野球部の右腕。コントロールばっちり、なんて感心していると真田は友達らしき人とクラスに消えていった。わたしの手中には次の授業で使う教科書と、それからいつも購買で投げ売りされているチョコレートが残る。思いがけない贈り物にラッキーと浮かれたのもつかの間、一部始終を隣で見ていた友人が呟いた。それ、バレンタインのチョコじゃない、と。その言葉は放課後までわたしの心をざわめかせることとなる。

 
「ねえ」

 真田の手首にテーピングを施しながら声をかける。このところ、部活終わりにこうして真田に付き合うことが多くなった。センバツも近いし断る理由もないからいいのだけれど、昼のこともあってふたりきりという事実に柄にもなく緊張して真田の右手から視線が逸らせない。このままじゃ形まで覚えてしまいそうだ。マメの位置とか、おおらかなところがあるくせにきちんと爪は切りそろえられてるところとか、関節が太いところとか。だんだん触れるところが熱を持つような変な気持ちになってなるべく手早く済ませようとテープを勢いよく広げた。

「何だったの、あれ」
「あれって?」
「チョコ!」

 とぼけた返答につい言葉がきつくなる。まるでわたしが何かを期待してたみたいじゃないか。それでも真田は何も気にした様子はなく、
「あー、バレンタインだっていうから」
 と、悪びれずに答えた。

 意図が合っていて、嬉しいような恥ずかしいような。言いようもない胸がくすぐったくなる。でも、義理チョコならわたしだって部活のみんなに渡してるし……

「好きな子に渡すもんじゃん?」

 と、予防線を張ったのも束の間。そんなわたしの構えをいとも容易くすり抜けて、真田は好きな子とはっきりと口にした。

「…………テーピング、ズレるんだけど……」
「動揺した?」

 からかうような口ぶりと獲物を捕らえるように鋭く細められた瞳がひどくアンバランスでいやになる。
 真田の好意はいつだって真っ直ぐだ。それでいて力強いくせに、その実冗談で包まれていて油断してると正面から受け止めざるを得なくなってしまう。
 向けられる気持ちに気付いたのはいつだったろう。少しも隠そうとしないところにはいっそ清々しさすら感じる。わざとなのか、それとも天然なのかわからないから余計にずるいと思う。

「……だったとしても板チョコで買収は安すぎ!」
「イテッ」

 テーピングの端を軽く叩いて止めて立ち上がった。急いで救急箱を閉じて、真田に背を向けるようにして空いているロッカーへと片付ける。
 子供のような無邪気さと、剥き出しの闘志。真田のもつギャップに惹かれる女の子は多いはずだ。だから、なんで真田がわたしなのかわからない。わからないから、今更素直に頷けない。なのにわたしの心臓だけがうるさい。
 後ろでベンチに座ったまま、真田が「厳しーな」と楽しそうに呟く。わたしの耳に集まっている熱になんてきっと気付いているのだろう。

20220216 / ただの好機