「二宮ってわたしのことむちゃくちゃ好きなのかもしれない……」

 わたしの呟きに、向かいの席に座った望が「何を今更」と顔を顰める。そういえば望は未だに二宮とわたしが付き合っていることに反対してるんだった。話題の選択を間違えてしまったかもしれない。

 事の起こりは3日前。定期的に行われる同い年飲みの帰りに、二宮の家に泊まったのが悪かった。ひとり暮らしの二宮のおうち。それだけなら何度も足を運んで、実際昼寝などさせていただいたこともある。だけど、わたしにとって二宮は名目上「彼氏」ということになっている。シャワーとパジャマを借り、いい気持ちでさて寝よう!としたところであれよあれよという間にそういうことになり、なんというか、端的に言えばヤッてしまったのだった。

 まあ、二宮とわたしは付き合ってるし。何なら半年経ってるし。普通に聞いたら半年待ってる彼氏のほうがかわいそう……と思われる案件なんだろうけど。でも相手は二宮だ。そんじょそこらの人間と一緒にしないでいただきたい。
 たとえば、二宮とわたしが付き合っていると聞いた時の風間さんの「冗談もやすみやすみ言え」という反応からもそれは窺い知ることができる。ですよねーとわたしも返してしまったくらいだ。そもそも付き合い始めたのだって、わたしがあんまり彼氏欲しい彼氏欲しいと騒ぐから(その頃周りの友達に恋人ラッシュが来ていた)、「うるせえだったら俺が付き合ってやる」とやたら高圧的に言われたからだし、わたしも二宮嫌いじゃなかったし1週間くらい経ったらどーせいつものように生活態度についてキレられて終わるだろう……と、思っていたのに半年である。

 半年。
 一瞬だった。付き合い始めた頃は前期のテスト前で死にかけてたのに、もうすぐ後期のテストだし。
でもその一瞬のあいだに、二宮はもしかしたらめちゃくちゃわたしのこと大事にしてたのかもしれない。なんか、あれはそういうことを思わせる手つきだった。思い出しては恥ずかしくてしにそうになる。

 二宮の真顔はいつも変わらなかったから、これまでは全然気が付かなかった。初めてキスしたのだって、騙し討ちみたいだったし。こっち向けって言われて向いたらいつの間にか唇が触れ合ってたぐらいの。だから、笑ってしまって、キスは怖くないなとおもった。なんだ、お遊びみたいじゃん!くらいの。でも、言ったら、そういう雰囲気にしたら、わたしが身構えてしまうからと思ってのことだったら?

「うう…………………………」
「場合によっては弁護士を呼んだって構わないわ」
「いや!訴訟されるならわたしのほうだというか」

 ちょーしくるう。
 だって、二宮そういうキャラじゃないんだもん。わたしから見た二宮は、デタラメな火力で、射手のトップに立っていて、高圧的で、レポートとかちゃんとやってて、真面目で、だから損することも多くて、なんだか放っておけないやつで、信頼できる友達であり……まあ、彼氏?みたいな?

 そこに「わたしのことが好き」というキーワードはない。

 だっていつもわたしがもうやりたくない!て課題を投げ出すのを絶対に何が何でもやらせるし。もっと言うと、高校生のとき、あんまりにも戦うのが向いてなくって、ボーダーやめちゃおっかなって泣いたのに二宮だけが絶対それを許さなかった。腕引っ張られて10本勝負をたぶん500回ぐらいやらされて穴だらけにされた。いまの二宮の個人ランク1位のポイントはわたしのポイントを根こそぎ奪ったからでもある。そして奴は言い放ったのだ。「これに懲りたらつまらん事を言うのはやめろ」あの時の鬼の形相をわたしは一生忘れないだろう。

「喧嘩でもしたの」
「喧嘩……っていうか顔合わせ辛くて」
「ふうん」

 ぐしゃ、と後ろ髪を乱暴に撫で付けると望がじい、と身を乗り出してわたしの瞳を覗き込んできた。

「私としてはこのまま二宮くんを放っておいたほうがおもしろいのだけど、二宮くんは気が気じゃないでしょうね」
「えっ?」
「あれで器用じゃないのよ、あの男」

 どうやら、わたしが見えてる二宮とみんなが見えてる二宮には解離があるらしいと思ったのはこの時が初めてだった。

 わたしは、二宮をどちらかというと器用な人間だと思っている。損することは多いように思うけど、ひとり暮らしをしながら大学に通って成績もいいし、ボーダーでも隊長職をきちんと全うしているからだ。わたしなんかひとり暮らしはひっちゃかめっちゃかだし、成績は言わずもがな、野良隊員で自由を謳歌している。二宮とは正反対だ。

「うーん……むずかしいことを考えたくない……そろそろ行こ……」
「防衛任務?」
「そう、太刀川のとこと。またね、望」
「ええ。破局したら教えてね。首はとってあげるから」

 時計に目を向ければそろそろ任務の時間が迫ろうとしているところだった。ラウンジのテーブルに広げていたノートやらを乱雑に片付け、太刀川隊の隊室に向かう。



「お前、この後どーすんの」
「このあと?」

 夜勤を終え、生身に戻るとなんだか身体が疲れていた。時刻は朝の10時。もうすぐ大学では二限が始まる頃だろう。

「暇だったら10本やろーぜ」
「太刀川のその元気はいったいどこから出てくるの……、ていうか太刀川も学校行きなよ。同じ授業取ってんじゃん」
「おれはサボる。どうせ二宮が出てるだろ、授業」
「うーん……ていうか眠いし仮眠室行こうかな」
「トリオン体になりゃいーだろ」
「ええ……」

 とにかく今日は遠慮します。と同じく夜勤明けの太刀川の誘いを振り切って、仮眠室に向かう。も、受付のパソコンの前で固まってしまった。どうやらしばらく見ない間に利用の申請方法が変わっていたらしい。事前受付が必要だったようで、女子の仮眠室には現在空きがなかった。
 ――そういえば仮眠室を使うのって久しぶりだったな。
ふと、思い返す。野良のわたしは隊室がないから、しょっちゅう人のところにお邪魔していた。なかでも二宮隊にはお世話になったし、付き合ってからは二宮のひとり暮らしの部屋で寝させてもらうこともある。ということで鍵も持ってたりする。

(……………………いや、絶対行かない……………………)
 というか、行けない。行ったところでいろいろ思い出して寝れそうにない。しがみついた二宮の肩の、しっかりした感じとか。わたしの腰を寄せる大きい手のかんじとか。

 わたしに見えてる二宮と、見えてない二宮。そういえば、付き合い始めた時の風間さんの「冗談だろ」は、わたしを選ぶなんて二宮も冗談きつい、という意味かと思ってたけど、もしかしたらちがうのかもしれない。
 実際、犬飼くんにも「あー、やっと」みたいに言われたのを覚えている。あれもわたしは腐れ縁が故の反応だとおもってたけど、ちがったのかも。
 みんな、二宮がわたしのこと好きって知ってたのかもしれない。
 隠し事は上手くない方だとおもう。表情に出にくいだけで、二宮は結構感情豊かだ。だから、みんなもしかしたら気付いてたのかもしれない。

 でもそれってすごく恥ずかしくない!?
 なんで二宮は冷静でいられるんだろう!? わたし、そんなのバレたら恥ずかしくてしんじゃう。でも、まあ二宮だから……とどこか納得してしまうのも事実だった。わたしの理解の範疇を超えた男だ。

 とりあえず、家に帰ろ。どうせ今日は二限と三限だけだし、三限は出席もまだ足りる。大学へ行くのは諦めて、帰路につこうとしたその時、スマホが震えた。
……にのみやだ。

「レポートが出た」
「すぐ来い」
「夜勤終わっただろ」
「家に来い」

 ……いやちょっとわたしにも言葉挟ませてよ!
LINEのメッセージがぽんぽんと表示されていく。レポートなら本部に来た時教えてくれたらいいじゃん! とは思うものの、恐らく二宮はすぐ渡してその場でやり遂げるのを見届けなければサボると思ってるんだろう。流石、長年の付き合いである。行動パターンを読まれている。

 少し迷って、わたしは二宮の家に行くことに決めた。

 なんだかんだ、二宮は嫌がることや困ることはぜったいにしてこないだろうという自信があった。ていうか、こないだ1回ヤッただけで多分満足したはずだとおもう。わたしに色気があるわけじゃないし。まあ、過ち? みたいな。ちょっと1回、試食しとこう! みたいな? それならわからんでもない。また二宮が、わたし相手にどうこうしようという変な気を起こすかといえば、起こさない自信しかないし。二宮も、あの日はお酒を……………………飲んでなかったような気しかしないけど何故か酔っ払ったのかもしれないし。

 それに、実際問題わたしが卒業できるかどうかはいつも二宮にかかっていたのだった。あとわたしの成績が悪くて鬼怒田さんが怒るのは二宮へだし、なんというか、これは二宮を助けるためでもあるのだ。





 来慣れた扉の前に立ち、インターホンを押すと二宮はすぐに出てきた。部屋に入れと顎で促されたけれどそれは阻止して、玄関に立ったまま「ん!」と手を差し出す。

「……何だその手は」
「レポート!」
「うちでやって行けよ」

 二宮が不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。よ、よくもまあ酔っ払った彼女の初めてをぺろっといっといて家でやって行けよなんて言えたもんだな……! 一応ちょっと、こっちは緊張してるのに! 二宮の普通の態度にめちゃくちゃ腹が立って「忙しいから!」とついどうでもいい嘘をついてしまう。

「予定でもあるのか」
「太刀川と10本する約束したんだもん」
「は?」

 …………名前を出す人間の選択を間違えてしまったかもしれない。

「何でそこに太刀川が出てくる」
「え!? いや夜勤一緒だったから……、ていうかレポート出たなら太刀川にも教えてあげなきゃ一緒に落第しちゃうよ! だから本部行こう! 今から!」
「太刀川に親切にする義理はない」

 た、太刀川はなにもわるくないのに……ごめん……。太刀川の留年危機がまた一歩進んだところでふと気が付く。太刀川「に」は、親切にする義理がないそうだ、二宮は。じゃあ、それってわたしには親切にしたいってこと?
 二宮がわたしのことをずっと前からめちゃくちゃ好きなのかもしれないという脳内恋する乙女モードになってしまってるわたしは都合良く解釈してしまう。いや、そんな……二宮に限ってそんなはずは……

「お前、俺の事は避ける癖に太刀川とは仲良くするんだな」

 怖。嘘ですすみません。思い上がりです。恋する乙女モードが鬼の冷徹顔によって強制終了されたところで、「上がれよ」ともう一度告げられる。発する圧が強すぎてB級でも下の方のわたしは反抗する気すら起きなかった。下手したらころされるかもしれないとすら思い、履いていたショートブーツを脱ぎ、二宮の部屋に上がる。

 ベッドを背に、テーブルの前に座った。こないだは、ここで色々あったわけだけど、今やそんな甘い雰囲気は欠片も感じられない。二宮がドカ、と隣に座ってくるのすら恐ろしい。

「お前」
「は、はい」
「太刀川に乗り換える気か」
「え!? いやない、それはない!」

 びっくりしすぎて思わず噎せた。真剣……いやいつも真顔だからそう変わらないけど、ちょっと真面目な顔した二宮をぱちぱち瞬きしてみつめていると二宮は「この間の事だが、」と続ける。このあいだのこと。

「お前が不快に感じたなら謝罪する」

 わ、悪いと思ってるんだ!? じゃあなんでしたんだ! ……って思うけど、二宮のこういう、後からちゃんと話してくるところが、わたしは嫌いじゃなかった。へんてこりんな男で、どうしようもなくて、だからほっとけなくなるのだ。
 それに、お酒入ってたけど、本気で嫌だったら泣き喚いてでも拒否するし、二宮も多分、わたしが本気で嫌がるわけじゃないって分かってたんだとおもう。わたしよりも、わたしのことを知ってるから。

「いやあの、不快とかじゃ……」

 俯いてなんとか声を絞り出した。なんかこういうの、ちゃんと話すの恥ずかしい。本当に、嫌じゃなかったんだよ。他の人とって考えたら、むちゃくちゃ嫌だなって思うのに、二宮だと嫌じゃない。わたしのなかで、二宮なら、二宮だけになら、許せることがいっぱいある。ように、思う。

「じゃあなんだ」

 …………でも、こういう奴なんだよなあ!
 二宮はわたしの手首を強い力で握った。もう絶対話すまで帰らせない構えじゃん!なんで避けてたのか、言わなきゃいけなくなってしまった。もう、なんか、不快だったことにしといたらよかった。できないけど。二宮に、嘘をつくのは昔から苦手なのだ。

「だ、だって……」
「だって、何だ」
「う、……」
「早く言え」
「………………二宮わたしのこと大事にするんだもん!!」

 キッと睨むように言い放ったら、二宮が瞬きした。な、何か言ってくれないと羞恥でしんでしまう……もうどのルートを通ってもわたしの死因は二宮だ。

「に、二宮で頭いっぱいになっちゃうんだもん。手とか……あんな優しいって、し、知らなかったし! わたしに優しい二宮とかちょっと、キャラ違うくない!?」
「いつも通りだろ」
「嘘だっ! もうほんとやだ、二宮やだ、離してもう、手熱い、顔も、く、くるしい、しんじゃう。これ以上恥ずかしくさせないで」
「お前、相変わらずお粗末な脳してるな」
「だれのせいなの!」
「そんな事で俺を避けるな」

 泣きそう。身体中があつい。やっぱり来なきゃよかった。二宮がジリジリと近付いてるのがわかって俯く。顔が見れない。「つぐみ」、とダメ押しのように名前が呼ばれて、掴んでた手が離れる。その代わり、二宮の五本の指とわたしのそれが絡められた。

「不快じゃないか」
「う、うん」

 頷く。ぐい、と引っ張られて、二宮の胸に顔がぶつかる。抱きしめられている。

「これは」
「……いやじゃない」

 答えたら、顎を親指でくいと上げられて、そのまま唇が重ねられて、びく、と肩が跳ねる。でも、

「い、いやじゃない……」

 離した唇から出たのは蚊の鳴くような声だった。なのに、二宮の静かな部屋にははっきりと響く。いやじゃない。いやじゃないから、困ってる。

「じゃあいいな」

 いろいろいっぱいいっぱいで黙ったまま二宮の目をみつめていたら、二宮がそのまま馬乗りになってきた。いや、待て! 展開がはやすぎる!! さっきまでの態度どこ行った!!!

「よっ!? 良くないから! なんでそうなるの二宮! っひゃ、ま、待っ」
「お前のペースに合わせてたら100年経つ」

 耳をかぷって噛まれて変な声が出た。ひゃ、100年待って見せてよ! 思わず抗議すると、二宮の身体が離される。安心するもつかの間、信じ難い言葉を言い放たれた。

「俺が欲しいものは何が何でも手に入れる主義なのは知ってるだろ」

 そ、そうだった……、後輩に頭下げてでも技術を体得するような男だった……。妙に納得してる間に口が塞がれて、あれよあれよと。でもなんだか、欲しいと思われることは、いやじゃなかった。二宮になら、ぜんぶあげてもいーなっておもった。
 その後。二宮のベッドはふかふかで、仮眠室のそれよりむちゃくちゃ寝心地がよく、すっかり事が終わって爆睡してしまったわたしのレポートは当然のように二宮が手伝ってくれた。太刀川のは知らんと言われたけど、やきもちなのかなって浮かれたことを考えるくらいには、二回目も、その、なんていうか、とっても、優しかった。とってもとっても、優しかった。

20xxxxxx / 酸いも甘いもきみとなら