放課後、呼び出されたとおりに体育館裏に向かうと後輩であろう女の子がふたりいた。わたしの顔をみるなりぱっと顔を赤らめたところをみるに、呼び出したのは右側に立つおんなのこの方だろう。もう一人は付き添いか。スカートを通り抜ける冷たい風もなんのそのといったような甘ったるい空気のなか、ようやく右側の女の子が口を開く。

「……藤真先輩って、どんなチョコレートが好きですか!」




 来たる2月14日、バレンタインデー。コンビニですらそれ専用のチョコレートを準備して、恋する女の子の背中を後押ししている。
 ――まあ、わたしには関係ないのだけれど。
 ふっとひと息ついて、掃除のため下げていた教室の机を整える。いざ帰ろうかと鞄を持てばそこにタイミングよく扉が開かれた。

「健司」
「おう。寄ってくだろ、今日」
「うん。いつもありがとうってお母さんが」
「いーえ」

  3年前も経てば、教室に残っていた数人の女の子も、こうしてわたしのクラスにひょっこり顔を出す健司やわたしとのやり取りにもうすっかり慣れてしまって、色めき立つこともない。並んで下駄箱に向かい、揃って校門を出たところでなんの噂も立てられることはない――そう、わたしたちはただの幼馴染だ。校内校外問わず有名人である健司のおかげで普通よりは少しばかり、名を知られている事以外は。

「健司のお母さん、ほんとすごいよね。ガーデニングに飽き足らずお野菜まで……」
「おふくろの趣味だからな」

 電車を少し乗り継いで、家までの道のりを行く。ウィンターカップも終わった健司の肩には代名詞とも言える程の大きなエナメルバッグの存在がなくて、何故だか寂しくみえる。
 ――こうやっていつか、隣を歩くこともなくなるんだろうな。
  あと2ヶ月もすれば、新しい季節がやってくる。健司もわたしも進学こそすれ、小中高と同じだったのが嘘みたいに、違う大学に通うことが決まっている。隣をあるく距離がいつまでも「当然」な日々の終わりが見えている。いつからかすっかり差のついた、身長みたいに。

「そういえば今日さ、」
「おう」

 首元のマフラーに鼻先まで埋めながら話しを切り出した。時々零れる息が白い。

「1年生かな、たぶん。呼び出されたんだよね、体育館裏に」
「お前何しでかしたんだ?」
「人聞き悪いな。違うよ、藤真先輩ってなんのチョコが好きですか〜って聞かれちゃった。よかったね健司、今年も翔陽で1番チョコ貰えるんじゃない?」

 バレンタインデーに、健司の机がチョコで埋まるのはもはや冬の風物詩みたいなものだ。色とりどりの箱や袋が積まれていく様子が賑やかで何故だか誇らしくて、すきだった。それも来年から見られなくなるのだろう。
 ふたりぶんの足音が住宅街に響く。健司が何にも言わないので、うちのお母さんも健司にチョコレート用意してたよ、と続けようと口を開きかけたところで、それは遮られた。

「――で、お前は何て答えたんだよ」
「……さあ?」
「さあって何だよ」
「だから、さあ?って言ったの。健司何でも食べるでしょ?本人に聞いたら教えてくれると思うよって言っといた。いくら幼馴染だからって、そんな事まで知らないよね」

 笑いながら答える。確かにわたしたちは普通より少しはお互いをよく知ってるのかもしれない。でもきっと、知らない事の方が多い。健司のお母さんの趣味がガーデニングであることや、健司の進路は知っていても、好きな食べ物や今の身長だって知らない。バレンタインデーに貰ったチョコレートに、どんな返事をしているのかも。
そしてこれからはもっとずっと、お互い知らない事だらけになってゆくのだろう。

「……………トリュフ」

 ふいに健司が呟いた。

「………が、好きだ。オレは」
「…………………だから何?後輩ちゃんに伝えろって?」
「そうじゃねえだろ」
「じゃあ何なの」
「お前に知ってて欲しいんだろ」
「……へえ〜……?」

 見上げると健司と目が合う。絶対渡せよ、そうせがまれて、思わず笑ってしまった。

「どうせならわたしの作るものなら何でもいいぐらい言いなさいよ」
「よせって」

  近づいて肩で小突きながら、頭の中でトリュフの材料を思い浮かべた。急いで買いに行かないと。口の中で蕩けるチョコレートが、わたしたちのこの距離を溶かしてくれる予感がしている。

20xxxxxx / エクストラ・エトセトラ