おまたせ、とつぐみがその横顔に話しかけると、下駄箱に背を預けていた隠岐はその姿を見るなりぶは、と吹き出した。

「もふもふやん」
「だって寒かったんだもん」

 薄々、周りと比べて大袈裟な厚着をしてしまったと気付いていたつぐみは、突かれたくない部分を指摘されて思わず大きな声で反論してしまう。けれど隠岐はすんなり「せやな、今朝冷えたもんな」とそれを肯定するから拍子抜けだ。

「あれやな、あれ なんかそんな犬おるやん」

 もふもふ、と称したつぐみのボアの上着を見下ろして、隠岐がセーターで隠れたその指先をいとも簡単に掬う。犬に例えられたつぐみが「いぬ……」と繰り返すのをよそに手を繋いではようやく「そや、マルチーズや、やっと思い出した」と閃いた様子だった。

「それってどう受け取っていいの?」
「かわいいやん。いらん?」
「いやじゃないけど隠岐は猫派じゃなかったっけ」
「なに?猫のほうがよかったって?」

 つぐみと隠岐がこうして他愛のない会話をするのも、一緒に帰るのも久しぶりのことだ。
 隠岐はボーダー隊員としてこの町にやってきた。当然、優先されるべきはボーダーの活動であって、その為に充分な時間を取れないのは生まれてからずっとここに住んでいるつぐみにとって当たり前で、我儘を言う気もなかった。

「隠岐は今日は?夜勤?」
「うん。明日は行けても3時間目からやなあ」
「そっか……ね、」

 手を引き、立ち止まってつぐみは隠岐に少し屈むようねだる。何も疑わずそれに従う隠岐の首に、自分のマフラーをかけた。

「風邪ひかないでね」

 そう言いながら、できるだけ優しく。寒い夜でも、暖かい空気が隠岐を包んでくれますように。願うようにつぐみがマフラーの端を整えると隠岐が近付いた顔の距離をなくすように、口付けた。離れる際のちゅ、というかわいいリップ音に、つぐみは思わず隠岐の額を叩く。

「……ちゅーしただけやんか〜」
「い、いきなりするから!」

 もう! と続けながら、一瞬で熱を持った身体を冷ますためにマフラーを外した首元を手で仰ぐつぐみを横目に、隠岐は巻かれたマフラーを整える。

「…今日は頑張れそうな気ィするなあ」

 そう言って笑う隠岐はその背中に、一体どれほどのものを背負っているんだろうか。つぐみは思う。
遠いところから、この町を守るためにやってきた隠岐。マフラーひとつで何か返せるわけでは、ないけれど。

「なあつぐみ」

 橙色した陽が三門市を包んでいたのは一瞬で、夜はすぐそこまで来ている。あと何時間もすれば隠岐は出かけ、つぐみは眠りにつく。つぐみが起きる頃に、隠岐は仮眠を取るのだろう。

「いきなりじゃなかったらいい?」

 少し違えば、出会う事などなかったのかもしれない。頷く代わりに、つぐみは隠岐の胸元にそっと額を預けた。どうかこの糸が解けませんように。隠岐に顔を上げるよう促されると、二人は惹かれ合うかの如く唇を重ねた。

20xxxxxx / ちちんぷいぷい運命になあれ