惚れた方が負け。わたしは今まさにそれを実感していた。

「あっ もういないと思ったらまたあんな所に……!」

 採寸の為に使っていたメジャーを片付けていると、そばに居た瀬名先輩はそう呟き、たちまち窓を開け、はやく来なよねぇ!と叫んだ。その言葉の先には青空の下、草木にまみれて作曲をしている月永先輩がいる。

「……次のライブの新曲でしょうか……」

 わたしがそう呟くと、瀬名先輩は呆れた様子で「あんまり甘やかさないでよねぇ、」とわたしをその綺麗な指先で小突いた。

 本来今日はKnightsの練習日ではなかったので、採寸を済ませるとそれぞれ空き教室を後にした。それをいい事に、わたしはその教室内の窓際の席に座り、結局採寸に来る事がなかった月永先輩の姿を今度はしっかりと目に焼き付けるように覗き見る。
 秋風が月永先輩の髪を、周りに広がっている楽譜を散らしていた。教室内にいても少し肌寒さを感じるほもどのその木枯らしだって物ともせず音符を書き連ねる様子に、わたしも負けじとプロデュースに使っているノートを開いてアイディアを書き連ねた。
 そして、以前のライブを思い出す。「ああ、つぐみ!だいすきだっ!」何度も反芻したおかげでとうとう耳元でリアルに思い起こす事のできるようになってしまったその言葉にカッと身体が熱くなり、ノートに押し付けていたシャーペンの芯を思わず折ってしまった。

 月永先輩の「だいすき」は嘘ではない。先輩の言葉に嘘が紛れていた事などいちどもない――と、思う。向こう側がそっくりそのまま見通せるくらい澄んだ水晶のようなその言葉を、自分の都合の良いように歪めてしまったのはわたしだ。自分に向けてかけられたその言葉をあたかも特別かのように解釈し、その日からどんどんどんどん月永先輩から目が離せなくなった。そのうち、月永先輩が「だいすき」で「愛している」のはほぼ森羅万象を対象にしているのだと気付いた時にはもう手遅れで、わたしのなかで月永先輩は既に「とくべつ」になってしまっていた。

「…勘違い、しちゃいますもん……」

 窓の外から視線を外し、机に突っ伏す。ノートに書いた「月永先輩」の文字を指でなぞって、自嘲するように呟いた。




「起きたか?」

 寝苦しさを覚え、かたくなった身体を解すかのようにふる、と震えながら目を覚ますと、隣の席で月永先輩がノートパソコンを開いていた。驚いて壁に掛かっている時計を確認する。午後6時。30分は眠っていたことになる。「えっ」、眠っていた事にも、隣に先輩が居ることにも驚いて思わず椅子から立ち上がろうとすると、肩にかけられたジャケットが滑り落ちそうになって、ハッと手を伸ばした。自分の制服のジャケットは着ている。じゃあこれは誰の……

「わははっ、水色に水色のジャケットは、流石に合わないなっ!その困惑した顔、ちぐはぐな格好!あぁ、霊感が湧いてくる!」
「れ、霊感はいいんですけど月永先輩なんでここに!」
「なんでってつぐみが採寸するって言ったんだろ?セナにも呼ばれたし……。だから来たのに気持ち良さそうに寝てたから」
「採寸は放課後すぐって言ってたはずなんですけど…!」
「あれ?そうだったか。わはは、許せ!おかげで妄想は広がった!ホラ!」

 パーカーを腕まくりしていた月永先輩が楽譜の束をわたしに手渡す。木枯らしのアリア、とタイトルが付けられているのがそれだろうか。タイトルのセンスは瀬名先輩に怒られてしまいそうではあるけれど、きっと名曲に違いない。片手で月永先輩が肩にかけてくれたジャケットが落ちてしまわないように抑えながら、もう片方の手で楽譜の右端を捲っていく。………「眠れつぐみよ」……ん?

「なんですかこれ」
「子守唄」
「子守唄になんでわたしが」
「つぐみの寝顔があんまり気持ち良さそうだったからな〜、見ながら作った!ソフトで作ったからな、今すぐ聞かせることもできるぞっ」

 ホラ!と月永先輩がマウスをクリックしそうになったので慌てて静止した。先輩は名曲なのに!と不満そうに唇を尖らせるけれど、子守唄とはいえ自分の為に作られた曲をその作曲者である先輩と一緒に聞く勇気はなかった。月永先輩の作る曲はどれも優しいメロディである事は知っているから、よっぽどでない限り、好きを隠せる顔が作れるとも思えない。

「……また、ゆっくり聞かせてくださいね」

 マウスを制止させた手を解き、先輩に向き直って楽譜を返却する。それからジャケットも。肩が軽くなり、思考も冷静になった。先輩のこういう行動に、一喜一憂しては身が持たない。先輩にとって作曲は息をするようなもので、個人に向けて作るのだって珍しいことでもない。
ジャケットを着直した月永先輩を横目に、ノートやペンを片付ける。職員室にまだ先生はいるだろうか。はやく鍵を返しに行かないと。
 行きますよ、月永先輩。じぃ、っと自分のパソコンを見つめたままの先輩に声を掛けると、ようやく先輩はパソコンを畳んでそれを脇に抱え、隣に立った。そして、腰を屈めるようにしてわたしの目を覗き込む。

「………ラブソングがよかった?」
「えっ な、ラ……?!」
「つぐみに向けたラブソング!いいなっ、名曲が生まれそうだ!」

 早く書きとめないと!先輩がわたしの右手を掴んで走り出す。鍵を、職員室に渡さないと。そう思うのに、手が離せない。惚れた方が負け。でも、勘違いじゃ、なかったのなら。
 頬を掠める風が、先輩の香水の香りを運ぶ。曲ができたら、一緒に聞かせてもらおう。とびきり優しいであろうその旋律に、わたしも大好きだと伝えたい。

20xxxxxx / 曲線にときめいて