ショコラフェスを明日に迎えた学院は甘い香りに包まれていた。勿論、厨房がその中心で、所狭しとアイドル達が準備したチョコレートが並んでいる。その端っこでふたり。先程焼きあがったガトーショコラを前に、嵐ちゃんとわたしは眉を顰めるのであった。

「ううん……味はイケると思うわぁ。でも……」
「なんか……パサついてる?よね………」
「レシピは問題ないはずだけれど……混ぜ足りなかったのかしらねェ」

 頬に手を当てて困ったように嵐ちゃんが首を傾げたので、急いでフォークをお皿に置いたわたしは嵐ちゃんのせいじゃないよ、と首を振る。

「忙しい中付き合わせたのにごめんね」
「いいえ、バレンタインだもの。がんばりたいわよね。アタシは充分、喜んでくれると思うけど……」
「そう思う?がっかりされちゃわないかなあ」
「そうよ、買ったものを渡されたりする方がショックだと思うわぁ。何だかんだ言って泉ちゃんそういうの、気にするタイプよぉ」
「うーん…」

 申し訳程度にラッピングをしたガトーショコラの隣には、ショコラフェス用の立派なチョコレートが並んでいる。他のグループのお手伝いから自分のユニットの準備まで、本当に忙しい中手伝ってくれた嵐ちゃんには悪いけれど、初めてのプロデュースを思い出すくらい、わたしの作ったそれは隣に並ぶものと比べて拙く見えた。

「泉ちゃんとは?この後、勿論会うのよねぇ?」

 嵐ちゃんはエプロンを外し、座って頬杖をついていて、すっかり女子会モードだ。まだ作ったガトーショコラをどうすべきか迷いながら、うん、と頷いてポケットの中のスマホを取り出す。瀬名先輩は司くんの練習に付き合っているはずで、それが終わるまではあと30分以上は………

「わっ嵐ちゃんごめん!瀬名先輩から連絡きてた!予定よりはやく終わったみたい」
「あらやだ。それじゃあ早く行かないと!」
「ごめんね、鍵だけよろしくお願いします!」
「いいのよ。つぐみちゃん、ハッピーバレンタイン!明日はがんばるから、見ていてね」
「勿論!嵐ちゃんもハッピーバレンタイン!!」

 厨房を出て、嵐ちゃんのウインクを背中に受け走りながらエプロンを外す。メッセージを送ってくれたのは10分前。きっと出会ってすぐの一言は、

「チョー遅ぉい」

 ――合ってた。この状況で噴き出すとさらに叱られてしまうこと請け合いなので、走ったせいで崩れた前髪を指先で整えながら「すみません…」と謝る。

「何ヘラヘラ笑ってるわけ?帰るよ」

  わたしが整えた前髪が変だったのか、瀬名先輩はムスッとした顔で更にそこを手直しし、くるりと背を向けた。

「……明日はいよいよショコラフェスですね、先輩」
「わかってるなら待たせないでくれる〜?プロデューサーの癖に」
「う……すみません」
「で、俺を待たせたんだから、出来たんでしょ」
「何がですか?」
「あのねぇ……鈍感なのもいい加減にしなよ。まさか本当にずっと、明日のチョコレートの手配だけしてたって言わないよねぇ?」

 隣を歩く瀬名先輩に睨まれて、やっと気付く。思い当たるのは鞄にしまったアレだ。まさか、瀬名先輩から言われるとは思わなかった。

「いや、でもその……」
「何?失敗したの?」
「失敗っていうか……失敗になるんでしょうか。味は問題ないと思うんですけど…」
「あぁもういいから早く渡しなよ。どうせ明日はお互い忙しくって、今しかないでしょ」

  考えなんて、すっかりお見通しだと言いたげに瀬名先輩は、鞄をひったくるようにわたしから奪い去る。

「わ、わかった!渡します!渡しますから!鞄を返してください!」
「いーってば。ほら、出して」

 片方の持ち手だけ瀬名先輩に渡されて、鞄を開くことを催促され、どうにもいたたまれなさを感じながら、ラッピングしたチョコレートを取り出した。瀬名先輩はそれを品定めするかのように眺めて、わたしの手のひらの上から受け取る。

「ほんとに、ほんとに自信がなくって、嵐ちゃんが手伝ってくれたんですけど」
「なるくんが手伝ってくれたのにその言い草はないんじゃない?ふーん、ガトーショコラね…」
「う…はい…」
「食べていい?」
「えっ?」
「だから、食べていい?って聞いてんの」
「今ですか?!」
「今じゃなかったら聞かないから」

 バス停のベンチに座った瀬名先輩は、返事も聞かずに早速袋に巻かれた青いリボンを解いてゆく。そのうち、座れば?と促され、やっとわたしは隣に腰を下ろした。
 まるで壊れ物でも扱うかのように、先輩が袋からガトーショコラを取り出して、三角の形をとったワックスペーパーのマスキングテープをゆっくりと剥がす。その指先ばかり、見つめていた。どんな顔をしているか、確認する勇気はなかった。先輩がそれを持ち上げて口に運びかけて思わず、わたしは自分の膝の上でぎゅうと握ったこぶしに視線を移す。

「………う〜ん……」
「美味しくないですよね……わかってるんですけど」
「美味しくないわけじゃないけど……なんていうか……」
「パサついてますよね……………」

 瀬名先輩の、顔が見れない。本当は美味しいチョコレートを渡したかった。はじめてのバレンタインデーだし、それでなくても先輩はいつだって自分に厳しくて、甘いものなんてめったに口にしないから。だからこそ、もっと時間をかけて、とびきりすてきなものをあげたかった。手伝ってくれた嵐ちゃんのためにも、自信を持って、渡したかった。なのに。
 これ以上何て言えばいいのかわからなくて、握った手に力を込めると隣からワックスペーパーを畳む音が聞こえた。思わず先輩に顔を向ける。

「ぜっ、ぜんぶ食べたんですか?!」
「当たり前でしょ」
「なんで……」
「なんでって別に、残す理由もないし」
「でも」
「しつこい。俺がそうしたかったから!文句ある?」

 ピシャリと言われてしまい、肩を竦めていると、ハァ〜〜、と大きな溜息が落とされ、

「あのね、」

 と、仕方なさそうに先輩は口を開く。

「あんた今年は?他の奴らには渡す準備したの?」
「い、一応……?必要かはわかりませんが、買いはしました」
「うん。……真面目なあんたの事だから、来年はきっと練習して、上手くなったものを俺に渡そう。なんて思ってるでしょ?今年で学院の忙しさもわかっただろうし、スケジュールだって調整できるから、充分に練習はできるだろうね」
「は、はあ……?」
「そうして作ったチョコレートをあんたの仲良い奴らにせがまれたら、人の良いあんたはまずあげちゃうでしょ。俺がどう思うかは関係なく……まあ俺のとは違うものにする、くらい気を利かせてくれるかもしれないけど」
「う、は、はい……そうかもしれません……」
「で、そいつらは、つぐみの美味しいチョコレートだけを知ることになるわけだけど。でも俺はそうじゃない。俺だけが、つぐみの、今のチョコレートを知ってる。……これで納得した?ただの優越感だよ」

  手が伸ばされて、後頭部の髪をくしゃりと崩すように撫でられる。話し方とは裏腹に、優しい笑顔を浮かべていることを、先輩は気付いているんだろうか?拙いところを、その過程を知っている人がいることが、どんなに救われることなのか、先輩は……
 ――そうだ、先輩は、アイドルだから、そんなこと、とうに知っているのだ。
 瀬名先輩のきらめきの秘密を教えてくれたような気がして、鼻の奥がツンとなる。それに気付かないふりをするように、先輩はわたしの握った手に手を重ねて、指先を絡めた。

「……あっ でも嵐ちゃんには食べてもらっちゃいました…」
「………………なるくんはノーカン」

20xxxxxx / アイラブユーの星座