舞台の上のみんなが、ファンの女の子達にチョコを渡していくのを最後列で見守る。チョコレートを手にしてきらめく笑顔を眺めながら、わたしは鞄の中のそれを渡さない事に、決めた。

 片付けを済ませ、鞄を肩にかける。つい何時間か前にはここでショコラフェスが行われていた事が嘘みたいに、寂しくなったステージを後にして夜の廊下を進んだ。あとは生徒会室――いや、もう誰もいないだろうから、職員室だろうか――に楽屋口の鍵を返却するだけだ。すっかり遅くなってしまった事に焦りが少しと、ほっとしたのが、少し。プロデュース科での日々はもうすぐ1年を経とうとしているけれど、未だに大きなイベントの前は緊張する。今回も何事もなく終える事ができた。そういつもなら充実感がわたしを包むはずだった。でも、今日は。

 ――渡せなかった、なあ。
  職員室を後にして、下駄箱に向かう。ローファーに履き替えて、上履きを閉まってしまえばぱたん、と虚しげな音が響いた。バレンタインデーが、終わってしまう。

  渡したい人がいた。感謝の気持ちとして渡す、それでよかった。でも、渡せなかった。

  舞台上からチョコを受け取った女の子達の笑顔が脳裏から離れない。あんな風に受け取ってもらいたい。そう思ってしまった。優しい人だから、きっと受け取ってくれるだろう。でもきっと、優しい人だから、チョコレートに込めた「特別」にだって、気付いてしまう。でもそれは、アイドルとプロデューサーとして、あってはならない事なのだ。

「遅かったじゃない、つぐみちゃん」

 ふいに声がかかって、思わず肩が跳ねる。

「あ、嵐ちゃん………?」
「ダメよぉ、女の子がこんな時間にひとりで帰っちゃあ。もっと周りを頼りなさい」

 外は寒いわァ。言いながら嵐ちゃんがわたしに近付いて、マフラーを整える。されるがままにされながら、わたしは混乱していた。なんで、どうして、嵐ちゃんがここに。

「アラ、どうして?って顔してるわねぇ。忘れ物したのよ」
「忘れ物……?えっやだ鍵さっき返しちゃった!」
「違うわよぉ、つぐみちゃん。つぐみちゃんだって忘れてない?それともわざとだったりするのかしら……」

 頭の中に疑問符を浮かべているわたしとは違って嵐ちゃんは楽しそうに口元に手を当ててくすくすと笑っている。わたし?忘れ物…プロデュースに使うノートはちゃんと鞄に入れたし鍵は返したし衣装はクリーニングを頼んだし………

「あらやだ。本当に忘れちゃってるの?」
「えー……と、ごめん嵐ちゃん。Knightsの音源は瀬名先輩に預けてあるはずです」
「うふふ。つぐみちゃんのそういうがんばり屋さんな所はと〜っても素敵だと思うけど……たまには女の子を楽しまなくっちゃあ。例えば…そうね、今日は何日だったかしら?」
「にがつじゅ…………、あ、嵐ちゃん」

  言いかけて、ハッと目を合わせると嵐ちゃんはご名答!と言わんばかりにウインクをした。まさか。

「そうよぉつぐみちゃん。忘れ物、ないとは言わせないわァ」
「そ、そんなことのために…こんな時間まで…?」
「やだ、つぐみちゃんが渡してくれなかったのよぉ。アタシ、待ちくたびれたんだから……。それに、後片付けは時間がかかったもの。そこは気にしなくていいわぁ」

 呼び出してくれるとおもって、メイク直しに気合い入れたのよ。嵐ちゃんは続ける。

「だって……でも、用意してるなんて……ひとことも、」
「つぐみちゃんならきっとくれるって思ってた……なんて、ちょーっと自信満々すぎかしら。でも、間違ってなかったわよねェ?」

 いたずらっ子のように嵐ちゃんが笑顔を見せるから、心が緩んでゆく。願いが、叶ってしまう、と、おもった。わたしのチョコレートを、「特別」を、笑顔で受け取ってほしいなんて、願ってはいけないそれが。
 戸惑っていると、わたしの鞄をすらりと攫った嵐ちゃんが踊るように手を差し伸べる。

「さ、お姫様。アタシの手を取って。騎士が帰り道のお供をするわ」
「嵐ちゃん……」
「きっと上手に送り届けたら、褒美をくれるわよねェ?」

 躊躇するわたしの手を掬うその手が冷たくて、泣きそうになる。待っててくれたんだ。こんな時間まで。
 この帰り道だけ、わたしをプロデューサーからお姫様にしてくれた優しい騎士が、どうか喜んでくれますように。その手がはやく暖かくなりますように。祈るみたいに、繋いだ手をギュッと握った。

20xxxxxx / ボンボン・チョコ