17時を過ぎると通りの並木に装飾された電灯がオレンジ色に美しく光りだす。スカートを翻し歩いている学生達は彼氏が欲しい、とマフラーを巻き直しながら笑っていて、その横を通り過ぎるカップルは、繋いでいる手の力を強めた。
 ガラスのショーウインドウの中には人間でも入るんじゃないかと思う程に大きなイミテーションのプレゼントボックスが積み重なっていた。そこに背を預けて、スマホを確認してみる。20分前に届いた『すみません少し遅れます』以降のメッセージは届いていない。待ち合わせ時間はもう15分を過ぎたところだけれど、この業界にはよくあることで、仕事が押しているのだろうと思った。何か事故に巻き込まれていないのならそれでいい。
 家を出る前から、何なら渡された時から何度も確かめているけれど、それでも待っている時間を潰すかのように、鞄から財布を取り出して、その中身を確認する。是非、とこないだまで同じ仕事を任されていた仲間から招待されたクリスマスに因んだオーケストラのコンサートのチケット。スリにでもあわない限り、そこにあることはわかっているのに何度だってそれがあることにほっと胸を撫で下ろす。
 わたしだって、今日はこのイルミネーションの中に存在する事を許される理由があるのだ。

 ヒヤリとした風が頬を撫で、わたしの髪を揺らした。思わず目を瞑って首を振る。寒い、と自然に口から漏れた。タイツを履いているとはいえ、冬の夜にスカートは厳しい。冷たくなった手にハンドクリームは上手く伸びなくて、手を擦り合わせてもさほど暖かくはならなかった。いっそ、店内で待っていようか。来るクリスマスに向けて色めき立つ人たちが吸い込まれてゆく、ここのファッションビルにはそのまま、コンサート会場が併設されている。入り口すぐ近くのカフェのコーヒーは、少なくとも体温だけは温めてくれそうだ。心は今日のコンサートが温めてくれるだろう。演奏者は勿論、なんといっても一緒に見る相手は恋人ではないにしろ、今をときめくあの人なのだから。
 着信の知らせのないスマホを取り出して、彼の名前を指でなぞった時だった。

「すみませんっ!」

 あの穏やかで、凛とした声がわたしの頭上に降って来る。

「瑛二くん」
「すみません、遅くなってしまって、」
「ううん、全然待ってないよ」

 走ってきたのか、焦りがそうさせたのか、瑛二くんははぁっ、と息を吐きながら話す。急がなくてもよかったのに、息をする度に大きく揺れる肩を見ていると、胸がじんわりと暖かくなった。

「嘘。こんなに冷たくなってるじゃないですか」

 ふいに、息を整えた瑛二くんが軽く曲げた人差し指で、わたしの頬に触れる。変装用の眼鏡に、わたしのわかりやすくうろたえた瞳が映って恥ずかしくなった。じんわり、なんて通り越してカッと熱くなる頬が寒さを吹き飛ばす。
 むしろ急かしてごめんね、だとか、この人混みの中よくすぐにわたしってわかったねだとか、誤魔化すように続けて、瑛二くんの返事は聞かないまま、ショッピングビルの入り口を指差した。

「開場まで少し時間があるし…中で楽屋見舞いを探そうと思ってたんだけど……もしかして持って来た?」
「あ、俺買う時間なくって…よかったら一緒に見てもらえると嬉しいです」
「よかった。わたしも瑛二くんと探そうと思ってたから」

 そう言ってコートを翻し、光の中に足を踏み入れる。中は広いのに建物の入り口というのは往々にして狭く、離れ離れになってしまいそうなところを瑛二くんの手がそっとわたしの腰に触れた。はぐれないようにだとか、ぶつからないようにだとか、そういう気配りなんだろうけど。上がる身体の熱は、デパートの空調のせいだと思いたい。
 カフェを通り過ぎて、手土産にするには丁度いいスイーツ売り場に向かうまでに、時期的なものなのか、普段と違ってアクセサリー売り場が入り口付近移動して、大々的な盛り上がりを見せていた。自分へのご褒美か、彼氏に強請るのか。吟味するようにショーケースを見つめている女の子や、店員さんに緊張した面持ちで話しかける男の人の隙間から見える色とりどりの小さいきらめきに、思わずかわいい、と洩らせば、すぐに「どれ?」と隣の瑛二くんが首を傾げてわたしに尋ねた。

「見ていきますか?」
「えっ、あ、そういう意味じゃなかったの。ごめんね」
「時間あるし、大丈夫だよ。少し見ませんか?」
「でも…」

 瑛二くんが遅れたと言っても、何十分も、というわけではない。腕時計は確かに開場まで1時間と少しを指している。始まるまでに手土産の買い物と、お茶を済ませるにしても充分な時間はあった。それでも忙しい毎日を過ごす瑛二くんに、この混雑の中を付き合わせるのは申し訳ない。それより、ゆっくりとお茶の時間を取ったほうがいいだろう。人の流れをせき止めて、口ごもるわたしに瑛二くんはにこりと口を弧にする。

「つぐみさんの好きなモノ、俺に教えてくれませんか?」

 …その言い方は、ずるいよなあ。  躊躇する間もなく、わたしの右手の指先を瑛二くんの左手がふわりと包んで、吸い込まれるように、わたし達が入るために空いていたみたいなショーケース前の、人と人の隙間にぴたりと入り込んだ。


 こないだメイクさんと言っていたんだけど。
 わたしが欲しくてたまらないんじゃなくってね、そんな風に装って、ブランド毎に並べられたアクサリーを指差してゆく。これが、今流行ってるんだって。なんて。

「瑛二くんが前共演してたあの女優さんが今ドラマで付けてて、」
「へえ~… つぐみさんはこういうのがすきなんですか?」
「うーん、わたしはこっちよりは、あっちの、」

 流れが動くのに沿って、ショーケース前を移動する。瑛二くんがこれ?と指すより前に、お気に入りブランドのアクセサリーを前にしたわたしは、先程よりつま先に体重をかけてケースを覗きこんだ。

「これ!……が、ね。すきで!わたしのお母さんがずっと着けてて、いつか欲しいなって思ってるの。でももう少し大人にならないと似合わないかなとは思ってるんだけど………」

「そんなことないと思いますよ」、瑛二くんの言葉に、「そんなことあるんだよ~…まだ身の丈に合わないの」と被せて、続ける。思わず声が弾んだ。

「この間、わたしが尊敬してるスタイリストさん…来栖さんって瑛二くん、一緒にお仕事したことあるかなあ?がね、メンズラインを着けてて、それがとっても似合ってて!次の夏コレのカタログが事務所にこの間届いたんだけど、レセプションパーティーには行ってみるかって社長が声を掛けてくれて、ほら、瑛二くんのドラマのスタイル、わたしやらせてもらったじゃない?それが、とっても評判だったからって!それで……」

 そこまで息継ぎもせず話して、ハッとした。アクセサリーの輝きから、瑛二くんに視線をそろそろとずらす。やってしまった。さっきまでの躊躇はどこにやったんだとばかりに話すわたしに、きっと呆れたに違いない。ごめんなさい。言いかけたところで、瑛二くんが目を優しく細めて、アクセサリーじゃなくて、わたしを見ていたことに気付く。

「つぐみさん、楽しそう」
「ご、ごめんなさい。こんなことしてる場合じゃなかった…」
「ううん。でも、よかったです。父さん、つぐみさんのがんばり、評価してくれたんだ」
「瑛二くんのおかげだよ!瑛二くんと、役のキャラならこんなスタイルにしようって、溢れて止まらなかったもん!」
「ありがとうございます。俺もあのドラマの仕事、すっごく楽しかったなあ…」

 瑛二くんが軽やかに笑う。思い出に浸るように。素直に今この瞬間を楽しんでいるように。 もしかして、ほんとうに瑛二くんも楽しんでくれてる?今も、前も?そう思うのは、わたしが楽しんでいるせいだけ?

「…瑛二くん、楽しい?」

 つまらなくない?と聞くのがきっと正解だっただろう。小さな声で聞いたその質問は、売り場にいるお姉さんの「おふたりでプレゼントをお探しですか?」に被って、届いたか届かなかったか、わからなかった。けど、届かなくてもよかった。わたし、自惚れすぎてる気がする。

「彼女さんですか?」

 わたしをちらりと見て、店員のお姉さんは瑛二くんに問いかける。眼鏡のせいだろうか。それともあまりにも堂々としているから?幸いにも変装はばれていないらしい。
 いえ、見てるだけです。と、浮かれた心を落ち着かせるように代わりに答えようと、開きかけた口は、瑛二くんの言葉によって驚きの形へと変化する。

「…内緒です」

 えっ、と小さく上げた声に、瑛二くんがわたしにしかわからないように、シー、と人差し指を自分の口に当てた。

「内緒なんですか?」

 前のお客さんの為にずらしたアクセサリーを直しながら、お姉さんがくすりと笑う。

「はい、そうなればいいなって俺はずっと思ってるんですけど」

20xxxxxx / 醒めなくていいよ