夏の光を纏っていた人だったから、誕生日を聞いた時に驚いたのを覚えている。
 秋、似合わないねと言ったわたしにうるせ、と返した拗ねたような、照れているような横顔を見た瞬間に、わたしの夏と秋は御幸のものになった。
 季節が繰り返してもこの横顔を近くで見ていたい。
 その淡い願いは叶うこともなく、お互い青道高校を卒業した今は、別々の道を歩んでいる。

 冬の表情を見せ始めた風が、紅潮した頬に心地良い。朝、家を出た時には上着にコートを選ばなかったのは間違いだったかと後悔するくらい肌寒い気温だったけれど、すっかり高揚した身体に秋夜の風とカーディガンがちょうど良かった。
 居酒屋の店先で、幹事が出てくるのを待つ。ぞろぞろと店内の暖簾を潜り抜けひとり、またひとりと出てくるもそのまま解散せずにぐだぐだと話し続ける様子はなんだか別れるのを惜しんでいるように見えて、昔と変わらない笑顔が余計に懐かしく、寂しくなった。同窓会――という名の、飲み会は、そう頻繁に開かれるわけではないことを、わたし達の誰もがわかっていた。

 集まるで。というメッセージを見た時には、その関西弁の懐かしさに思わず携帯の画面を見て社内の休憩室にも関わらず、思わず吹き出したのを覚えている。
 ゾノ――このあだ名すら懐かしい――主催の「青道高校野球部同窓会」は各々の都合で欠席者を出しながらも、高い出席率を保ったまま、無事開催された。礼ちゃんや監督を始め、プロになった面子も時間の都合をつけ顔を見せに来たのはゾノあってこそだろう。
 中でも特に、御幸が来たのには驚いた。
 御幸は、入ってくるなり先輩らの手厚い歓迎を受け、自然にわたしの隣の座布団に腰を下ろした。

「久しぶり、来るとは思わなかった」

 その時のわたしはきちんと笑えていただろうか。塗り直さなかったリップが妙に気になって仕方がない。

「来ちゃ悪いのかよ」

 と返す御幸の横顔はあの拗ねた横顔からなんにも変わっていなくて、なんとなく心がざわつく。
 ――もう吹っ切れたと思ってたのに。
 顔を覗かせた想いを押し込めるかのように、グラスにふたくちぶんほど残っていたウーロンハイを一気に喉に流し込む。溶け残った氷がカラン、と小気味いい音をたてた。

「お前酒飲めんの」
「飲めるよ、もう大人だよ」
「23だもんな」
「同い年でしょ、何言ってんのもう。自分だってビールかけしてたじゃん」
「知ってんだ」
「そこまで薄情にみえる?わたし。一応仲間だったんだもん、チェックしてます~」
「そっか、…そりゃそうか」

 もうずっと身体付きも立派なプロになったし、身体付きもあの頃よりずっとしっかりしているのに、御幸の手の甲を口元にやる笑い方だとか、話し方だとか、根っこのところがが変わってなくて、あの頃、御幸の事が好きだったわたしが、速まる鼓動と同じように、心の扉をノックする。
 もしかしたら、御幸もおんなじ気持ちかもしれない。
 朝から夜までほとんどの時間を一緒に過ごしながら時折、そんな事を思っていた。わたしが視線を合わせようとしたら少し逸らしてから、でもちゃんと合わせてくれるところとか。悩んでいたらぶっきらぼうではあったけど、聞いてくれるところとか。上着を貸してくれたりだとか。
 そういうひとつひとつを零さないように受け取っているうちに、伝えたい気持ちと壊したくない関係性を、あの頃のわたしはぐらぐら綱渡りしているように過ごしていた。

 きっと御幸はちゃんと応えてくれる。どうなっても茶化したり、避けたりなんかしないって、わかってたのに、でも3年間ずっと、気持ちを確かめる事がどうしてもできなかった。
 テレビ画面の中にいる御幸を見て、好きだと告げなかったことを後悔していないかと言われれば、嘘になる。でも後悔したって今更連絡なんか取れるはずもないし、わたしだって仕事をしながら、それなりに、御幸じゃない人と食事に行ったりしている。止まってはくれない時間に追い付こうと精一杯になっている間に、大人になったのだ。
 ……なったはずだと、信じていた。夏と秋が来る度あの眩しくて泥んこだらけだった日々を思い出して、懐かしめるくらいには。

「お前、今どこに住んでんの」

 店先に留まったまま、お互い週明けの仕事が憎いね、なんて唯と話していると、ふと倉持に話しかけられた。あの辺り、と住所を告げると倉持はそれに返事をするより先に「御幸!」と声を張り上げ、少し離れた所にいたその人を呼ぶ。

「なに?」

 御幸は、顔を真っ赤にしながら肩を寄せるように絡んでいた伊佐敷先輩の腕を解いて、助かった、なんて小さく呟きながらこちらの輪に加わった。

「篠村の事送ってってやれよ」、倉持が続ける。
「は!?」と思わず声が出た。

「ハァって、お前と篠村、方向一緒だろ」
「いやいいよ悪いし! タクシー代だけで」
「ちゃっかりたかってんじゃねーか」
「つぐみ、甘えちゃいなよ」

 くす、といたずらっ子のような笑顔を見せる唯に、悟った。
 ――このふたりはわたしの昔の気持ちを知っていたんだった。
 御幸に見えないようふたりを睨みつけるも意味深に笑うだけで、提案が却下される事がない。今更、何があるはずでもないのに。期待したって、無駄なのに。断られてしまう前にキッパリと地下鉄で帰る、と言おうと口を開きかけた瞬間、御幸が言う。

「いーよ。篠村、タクシーでいい? 他に先輩らタクシー使う人いんのかな」
「えっ」
「先輩なら勝手に帰んだろ。ちゃんと送れよ」
「つぐみをよろしくね。じゃあ」

 わたしが戸惑っている間に御幸はタクシー会社に電話をし、その内、唯と倉持がその場を離れてゆく。それからひとり、また一人と、 「篠村、御幸に送ってもらうんだ。へーえ?」 「篠村センパイ! ありがとーございやした! みゆき! 次は負けねー!」 だとかを告げながら、居酒屋を後にしたため、とうとう赤い提灯を前に、ふたりきりになってしまった。まだ明るい店の中の光が、窓を通ってまろやかに御幸の頬を照らす。

「寒い?」

 どんな顔をして待てばいいのか、何を話していいのかもわからなくて、カーディガンの袖を伸ばして時間がすぎるのを待っていると尋ねられる。アルコールで熱くなった身体はもうすっかり元の体温に戻っていた。

「ううん、大丈夫。ありがと」
「これ着ろよ」

 御幸が、着ていた厚手のジャケットを脱いでわたしに手渡す。

「なに? 優しくて怖いんだけど……」
「はっはっは、返せ」
「うそだよ、ありがとう。…なんか、昔もこうやって貸してくれたよね」

 肩にかけた御幸のジャケットを手で掴んでぎゅっと身体に力を込めると、さっきまでの熱が戻ってくるようだった。懐かしい香りに目を伏せる。夏の光、秋の風。全部を一緒に過ごしていた、わたしの好きだった人。

 …………ああ、やっぱり好きだったなあ。ほんとうに、好きだった。長くて短い3年間、ずっと、一生懸命に、この人が好きだった。

「あったな、お前昔から寒がりのくせに薄着すっから」

 どんな風に好きだったか、鮮やかに思い出せる。勇気が出なかったあの頃の自分も。
 言えばよかった。伝えればよかった。こんな風に、簡単に会えなくなるのに。

「さすがキャプテン、野球じゃないのによく覚えてる」

 ふふ。と笑ったら御幸が黙り込んだ。少しの間、沈黙が流れる。

「忘れねーよ」

 低い声に、心臓が跳ねた。

「思い出にしてんなよ」

 笑って話してたはずなのに、御幸を見上げるとムッとした表情をしていて、次の言葉を聞くのが怖くなる。

「…んな顔させたいわけじゃねーから」

 手を伸ばした御幸がわたしの頬に触れる。固い指先だ。よく手入れされたそれが白い球を扱うのを見るのが好きだった。わたしに触れる時の優しい温度も。
 視線が泳ぐ。顔が見れない。わたし、どんなひどい顔をしてる?

「だって、…」
「だって、何」

 頬に触れた手が離れる。
 だって、もう、高校生じゃないから。御幸はプロで、人気もあって、わたしも仕事をしていて、あの頃だって言えなかった何かを、今更、言えるはずがないから。何も言わずに、思い出にしていれば、時々こうやって会えるかもしれない、それだけで充分だって、なのに、どこかで、それだけじゃ嫌だなんて思ってる自分に気づく。

「……もう好きでいてくんねーの?」

 目を伏せた御幸の笑い方が変わっていないから、どうしようもなく、引き戻される。夏だけじゃない、秋だけじゃない、春も冬もずっと一緒に過ごしていたあの時間に。
 …やっぱり、知ってたんだ。わかってたんだ。わたし達は、お互いに、

「……知ってるのに聞くのはずるくない?」
「腹括ってんだよ、こっちは。……なあ、もう耐えらんねーよ。隣にいてよ、篠村」

 低くなった声が優しくて、泣きそうになった。こわくて手を伸ばせずにいたこどものわたしを、心の中で抱きしめながら、御幸の手を取った。思い出にできないくらい、だいすきだった。昔も、今も。この場所は、こんなにも当たり前だった。

20xxxxxx / 3回転とひとひねり、君が笑ったら