金曜日の6時間目は体育で、カリキュラムの都合上、三学期はバレーだと決まっていた。
 体育の小林先生はもうすっかり週末気分で、わたし達がおしゃべりに夢中になろうがコートにだらだら入ろうがつまらなさそうにあくびをしている。仕方がない、小林先生はバレー部の顧問で、わたしたちのような一般ピープルは先生を満足させるトスが打てるはずもなかった。そういうわけでこの日の体育だけは、大体遊んでいても許される天国のような授業なのだった。

 なのに、今日のわたしは何を思ったかジャージの上だけを忘れてきてしまった。今手にあるのは半そでの体操服のみ。それじゃ困る理由があった。
 青道は野球の名門、と東京では名を轟かせているらしいけれど、体育館のエアコンが只今絶賛故障中なのだ。そのおかげでむちゃくちゃ寒い。とにかく寒い。バレー部の清水ちゃんが怒るくらいに寒い。こんなの、名門の面目丸つぶれである。
 そんな体育館で真面目にバレーするでもなく、おしゃべりに興じているわたしなんかは半そでで耐えられるわけがないだろう。早々に白旗宣言をしたわたしは休み時間に隣のクラスである2年B組に足を運ぶことにした。

 倉持いますか、と尋ねるよりはやく、丁度目当ての人物が積み上げられたノートを手に廊下に出て来た。日直じゃないはずだから、おつかいだろうか。ヤンキーみたいな見た目をしておきながらお人よしな奴だ。その背中に駆け寄って、軽く押すように手のひらで叩いた。

「くーらもちっ」
「ばっ……危ねー、何だよ」
「あのさ、ジャージ貸して」
「ジャージ?あ~、鞄にあっから適当にとっとけ」
「やったー、ありがと」

 うんうんやっぱり持つべきものは違うクラスの彼氏だなあ。ノート運びを手伝うこともなく教室に入り、倉持の机にまっすぐ向かった。よくあることなので、席替えをしても倉持の席はすぐに覚える。窓際から数えて二列目の一番後ろ。わたしと違ってくじ運がいいようで、いつも寝るには絶好の位置をキープしているのが羨ましい。
 倉持の席は、陽が少しだけ当たってとてもあたたかそうだった。右側にかけられた鞄のファスナーを開ける。忘れ物が多そうにみえて、寮生活だからなのか、意外とそういう事はしない。倉持と仲良くなったのも、1年の時、隣の席になってしょっちゅう教科書を見せてもらっていたことがきっかけだった。

 倉持とわたしは、付き合っている。いちおう、彼氏彼女というくくりではあるけれども、わたしに言わせれば友達の延長線上を走っているようなものだ。友達から見れば「ありえない」、だそうだけど。
 会いたいと思わないの?、さみしいとか、触れたいとか、と聞かれても答えは全て「別に、」で、その後は「だって倉持とは学校ですぐに会えるもん」だ。
 倉持と一緒にいると楽しい。笑いすぎて死ぬんじゃないかってぐらいわらう。自転車で二人乗りして爆走したり(倉持はわたしよりわたしの自転車に乗るのがうまい)、ゲーセンでUFOキャッチャーに挑んだり(こないだはうまい棒のセットになってるやつを取ってくれた)、カラオケでモノマネ大会したり(倉持はウルフルズのうたがとてもうまい)、こんなことばっかりしてるから、笑ってばっかだから、さみしいとは思わない。触れたい、だって、倉持の肩や背中に触れることはわたしにとってなんにも特別なことじゃなかった。

 たぶん、倉持もそうだ。倉持もわたしに触れるのは特別なことでもなんでもないはずだ。すぐほっぺたびろーんって引っ張るし、すぐチョップしてくるし、頭をぐしゃぐしゃにされる。でもそんなの、いつものことだし改まることでもなんでもないのだ。

 倉持が、「付き合わねえか」と言ったときだって。別に普通だった。いつもとおなじ、どこどこ行こーぜ、ぐらいのトーンで、目も合わせず言ったもんだから、うんって頷いたまでのことだ。
 むしろ世の中のカップルはすぐ寂しいだの会いたいだの言ってちゅーばっかりして、そっちのほうが不健全だ!最悪だ!と声を大にして言いたい。健全な、高校生らしい付き合いをしようじゃないか、諸君!青い空、白い雲、光る汗。世の中はこんなに素敵なのにおうちでちゅーばっかしてまったく高校生ってのはすぐえろに走ってしまう。コラ!

 つまらないことを考えつつ、倉持のうすっぺたな鞄を探る。財布やタオル、それらもろもろ上のほうに入れてあるものを避けて、底の体操服を取り出……そうと思ったとき、そのさらに底になにか堅いものがあるのがわかった。
 ツタヤの袋に入ったこれは、ゲームと……DVDかな?大きさと堅さ的にはそんな感じがした。ゲームのほうは、わたしも知ってるやつ。の、新しいやつ?かな。倉持がすきなやつだ。何回かやらせてもらったことがある。もうひとつ入ってるのは……映画?倉持映画なんてみるんだ~、友達に借りたやつかな?何観るんだろ、シブリかな、テズニーかな?いやいやそんなファンシーな。ジャッキーシェーンとかかな、……気になる。ちょっと覗いたくらいで罰はあたらんだろう。そう思ってツタヤの袋越しにまじまじと見たのが悪かった。

 ………「僕だけの巨乳女教師 ~放課後は秘密のペット~」………?
 あまりにも唐突でこんな映画あったっけ?と思った。けれどそんなことはなく、ツタヤの袋ごしのパッケージでは大層美人なおねえさんが教卓の上でおっぱい丸出しでこちらをうっとりと見つめている。ぼ、ぼくだけの…???きょにゅう…?

「おいつぐみお前まだ教室戻って……ゲッ」

ゲッてなんだ。

 体操服を胸に握り締め、手にはDVD(ツタヤの袋入り)を持ったまま、顔だけ上げて倉持を見つめる。一瞬で状況を理解したらしい倉持の目がおおきく開かれて、白目がいつもよりちょっと多くみえる。

「……お、おんなきょうし……」
「待てつぐみこれは違えんだって」

 呟くように言うと倉持がぱっとわたしの手首を握った。けど、すぐに振り払う。「え、えろまじん!」言った瞬間、倉持の顔がむっと怒ったみたいに変わって、ヤバいっておもった。だってこんな、教室で、白昼堂々、えろまじんだなんて言っちゃいけなかった。でも幸い、わたしたちをみてる人は少なかったようだ。倉持の顔が、びっくりしたものから、一瞬悲しそうな顔になって、でもおこったみたいな顔になる。捕まえられるのがこわくて、そのまま逃げた。

 倉持が、くらもちが。あんなの、みるなんて。倉持も不健全な人だったなんて。そういうの、興味あるだなんて。
 6時間目のバレーは結局半袖で出た。倉持のジャージは返せないまま次の日の朝を迎える。メールもぜんぶ、未読無視。





 月曜日を迎えたわたしの鞄の中には、倉持のジャージがある。一応洗濯してみたら、お母さんがあらやだ彼氏の?とか聞いてくるのでちょっといやだった。しかもめちゃめちゃ綺麗に畳んで、なんかかわいい袋に入れて「これで返しなさい」って言うもんだから、余計にげんなりした。

 学校に行くのがこんなに憂鬱だとは思わなかった。
 勉強は嫌いだけど、学校に行けば、友達もいて、倉持もいて、楽しかったのに。そんな日常生活は、倉持がえろえろ魔人だったせいで崩壊の一途を辿ったのだ。
 下駄箱を開けて、上履きを取り出す。結局、金曜日の夜に無視してたら、土曜日と日曜日は倉持からの連絡はなかった。わたしがエロ魔人って言ったせいでブチ切れてるのかもしれない。体操服を返さなかったせいで、土日、寮で夜寝るとき寒かったかもしれない。だから怒ってるかもしれない。もうわたしのことなんか嫌いになったかもしれない。
 そう思ったら、胸の奥がじくじくした。倉持が風邪をひいてたらどうしよう、倉持がもう一緒に遊んでくれなかったら、嫌いって言われたら、どうしよう???

「よお、ちょっと面貸せよ」

 下駄箱の前でぼーっとしてたら、いつのまにか人がまばらになっていた。振り返ると倉持がいて、怖い顔をしていた。

 体育館につながる廊下は、だれもいなかった。倉持がなんにも言わずにずんずん歩いていくので着いていくと、ふいに立ち止まる。どうやら、ここで話をするらしい。
 だれも通らないせいで、やけに空気が冷たい。足が冷えていくのがわかった。倉持は一体何を言うんだろう。体操服、返せなのか、お前とはもうサヨナラだ、か。口が開かれるのを待っていると、倉持がフーッと長く息を吐き出した。ビクッと震えてしまった。こわい。なんにもいわないで。

「……怒ってんのか」
「へっ?」

 倉持が言ったのは想定外の言葉だった。わたしのあほみたいな声が廊下に響く。

「なっ、なんで!なんでわたしが怒るの!」
「は?そりゃ……AV見てたからじゃねーの」
「エッ……そ、そんなの見てるのか!倉持のくせに!」
「はあ?じゃあお前アレなんだと思ってんだ」
「え、え、エ……ちがう!ちがうよ倉持!体操服!わたし洗濯したんだからね!お母さんがだけど!」
「うお、」

 鞄からファンシーな袋を取り出して倉持の胸元に投げるみたいに押し付けると指が手に触れた。ぼっと顔が熱くなる。そういえば、背中も熱い。熱いのに、冷や汗みたいなのかいてて、そこはつめたい。へんだ。へん。倉持の顔が見えない。そんなこと、これまで全然なかったのに。

「じゃあお前怒ってねえの」
「おこっ……おこってる!怒ってるよ!」
「だから、悪ぃって、」
「ふ、不健全って言うんだよ!そういうの!」

 鞄の持ち手を、両手でぎゅうっと握る。自分の、もじもじしている上履きをずっとみていた。倉持の声が上から降ってくるのが、くすぐったくて、いやだ。

 どうやら、倉持はわたしが怒ってると思ったみたいだ。だから、怒ってないとわかって、いや怒ってるんだけど、でもさっきより、声に余裕がある。ちょっと笑っていて、腹立たしい。首もカァと熱くなる。くつくつ、そんな、喉の奥で、低い声で、男の人みたいにわらわないで。

「た」
「た?」
「た、高島先生のことも、そうやって見てるんだ……!」
「何でだよ」
「きょにゅうおんなきょうし…!」
「だからあれは俺のじゃねぇって」
「じゃあ誰の」
「斎藤の」
「う、うそだ…!」
「んな嘘ついてどうなるんだよ」
「だ、だって…、でも…、じゃ、じゃあ見なかったの?!」
「………………おう」
「ま!間があった!今!」
「まあ、ノリで」
「のっノリ!ノリでそんな!さいてい!」
「普通だろ」
「普通じゃないよ!」
「男なら誰でも見てんだろ」
「お、お、男!!!」
「男だよ」

 倉持の声が低く響く。普通だって、普通って、そんなのが、普通なの?やっぱり、ちゅーとか、そういうの、倉持もしたいの?自転車二人乗りして笑うような、体操服忘れるような、UFOキャッチャーがヘタなような、カラオケの歌も音痴の、わたしが彼女でも?
 わたしが黙ったら、倉持がちょっとだけ顔を覗くようにして、「つぐみ?」と尋ねる。キッと顔を上げたら、目線が合わなくて、倉持はわたしより背が高いんだと改めておもった。視線が合って、こんどはわたしから聞く。

「く、倉持は、お、…おっぱい、おおきいのがいいの」
「え、は?……………胸、は…カンケーねえだろ」
「じゃっ、じゃあ倉持は、わたしでも、いいの?わたしとも、そういうことしたいって、思えるの?」

 あと3分で朝のホームルームが始まる。人は来ない。倉持が固まったのがわかった。薄そうな耳が赤くなってゆく。反射的に、触れてみたい、とおもって、そう思った自分にびっくりする。
 倉持の耳、薄そうで、赤くて、触れてみたい。ほんとうに熱いのか、さわってたしかめてみたい。こんなのが、普通なの?ふつうってなに?階段をすっとばして駆け上がったみたいに、壊れそうなくらい心臓がはやく動いている。
 しんじゃうよ。息がくるしくて、胸も苦しくて、しにそうだとおもった。倉持、ずっと前からわたしのこと、そんななの?倉持もこんな風になるの?倉持の唇が開いて、答えがわたしの鼓膜を震わせる。

20xxxxxx / 熱を交わす日を待つ