「「無理」」

 週の真ん中の曜日、午後13時。人がまばらのラウンジにわたしと太刀川の呟きが響いた。キーボードに突っ伏す前にちらりとみた時計は、まだレポートを書き始めて5分とも針を進めていない。

「まだ5分も経っていないよ、がんばろう!」
「じゃあ来馬くんがレポート見せてよお」
「それじゃタメにならないから……!」
「太刀川、起きないと」
「堤、目を覚ます為に模擬戦でもするか!」
「そのまま帰らないでしょ」

 ひとつき前、高校生や中学生組が定期テストを前に頭を抱えていたのがもはや懐かしく思える。大学はテストが少ない分、そしてわたし達がボーダー隊員であり授業の出席数を多少おまけしてもらっている分、レポートなんてものの提出を求められるのだ。まだあと1ヶ月もあるし、3週間もあるし、2週間もあるし……と先延ばしをしているうちに、提出期限がテストと被ってしまっていた。ひとつき前の自分に会ったらなによりも先に叱りたい。

「次単位落としたら忍田さんがもう苦笑いじゃなくなる…………」
「間違いなく鬼怒田さんが『揃いも揃って何をやっとるんだ!』って言うだろうな」
「今のモノマネ? 似てなさすぎてウケる~」
「2人とも単位を落とす前提で話すのはやめない?」

 とはいえ、こういったことは初めてではないので、過去に戻って自分を叱りつけたところで変わるかというとそうではない。人間というのは往々にして同じ過ちを繰り返し、臭いモノには蓋を、溜まったレポートには見ない振りをするものだ。大学に入って1年目の夏、いやもっと、高校生の頃から、太刀川とわたしの成績があまりにも想定の範囲外すぎて、このままでは防衛任務のシフトがなんとかかんとかで、半ば指令のように同い年のみんながこうして集まってくれている。ラウンジは逃走しようにも顔見知りばかりですぐに捕まるし、時間が空けばランク戦の復習だってすぐにできる絶好の場所だった。壁際の一番端、6人がけのソファ席の奥に太刀川とわたし、向かいに堤と来馬くん、それからヒマだったら望が、そして―……

「二宮くん拾ってきたわ」
「……またか」

 望に背を押されるようにして二宮がわたしたちのテーブルの横に立つ。上に置かれたノートパソコン2台と、開かれた形跡のない参考書の数々、それから早々に飲み干されたカフェオレ等々を一瞥し、溜息をつきながら向かいのソファに腰を下ろした。望はわたしの隣に座る。

「どれほど同じ事を繰り返せば気が済むんだ」

 と文句を言いながらも、二宮がなんだかんだ付き合ってくれるのは、もう知っているのだ。
 一番居心地のいい空気になって、身体はパソコンに預けたまま顔だけを上げた。希望が見えた、このレポートの山に対する。みんなの頭の良さは勿論うんと昔から知っている。これだけの人数が揃えばもう怖いものなし! と脳内で豪語したものの、パソコンの画面に向かうとやっぱり単語ひとつも浮かばないのであった。

「でも文才がないんだわたしには………」
「そんな事ないよ、もう100字も書けてるじゃない」
「来馬、甘やかすな。まだ100字だ」
「俺は設問の意味がわからん」
「太刀川…」

 太刀川の言葉にわたしもわかる~! と同意をしたけれど、わたし達2人の笑い声だけがラウンジの喧騒に紛れるばかりで、他の4人は望すらもう笑っていない。…これは、大分…まずいやつ?どうやら先程見えた希望の光は幻だったようで、未だにへらへらと笑い続ける太刀川の太ももを、どうやら今回はほんとにヤバいらしいよ、とちょっとだけ抓る。時計はそろそろ14時を指そうとしていた。
 あと1時間もすれば高校生組や中学生組が本部にやってくる。そしたら模擬戦だのなんだのと華々しい誘惑がわたし達を襲うだろう。元気よく、そして時にこちらが了承するまで続く勧誘に抗うのはどう考えても難しい。

「……これしきの英語も読めないでどうやってこいつらは大学に入ったっていうんだ」
「聞いて驚け! 推薦だ!」
「自慢する事…なのかな?」
「……ダメだぁ~~、終わる兆しも見えない!」

 ……が、しかし。だからといって1時間で100文字があと1時間でその20倍に化けるはずもなかった。起き上がった身体をそのまま反らせて天を仰ぐ。ノートパソコンのキーボードはさっきから音を立ててもいないし、積みあがった参考書はどこを開くべきかわからない。飲み終わったカフェオレは氷が解けて2層に別れてしまっている。
 ふと、隣の望がふぅっと息を吐きながら呟いた。

「そうねぇ……ご褒美があると違うんでしょうけど」
「ご褒美? なに? 望がくれるの?」

「私じゃなくって……」望が続ける。

「つぐみ、この間できたカフェに行きたいって言ってたじゃない?そこの……何が食べたいんだったかしら?」
「カップルパフェ?」
「そうそれ。二宮くん、つぐみと行ってあげたら?相手がいなくって困ってたのよね」
「二宮がぁ?」

 堤や来馬くん……や、太刀川ならわかるけど、二宮が? 望が振った相手が意外すぎて、目を見開く。それから二宮にその視線を移した。ほらぁ、やっぱりいつもの仏頂面じゃん。怒ってんだって。カップルだなんて、パフェなんて、二宮の纏うすべてに似合わなさすぎる事は、きっと二宮自身、わかっているだろう。だから、二宮の返事はノーに決まりきっていて、わたしは単位も危うく、そしてカップルパフェにもありつけないのだ…、と合掌したところで、テーブルを挟んで向こうから聞こえた返事に驚いた。
「わかった」…わかった?! 何が!? 何を!??

「え?! に、二宮、カフェだよ、パフェだよカップルだよ!?焼肉と勘違いしてない?!」
「していない」
「カップルで行かなきゃ行けないやつだよ?!」
「解ってる」

 嘘ぉ。漏れた声は二宮にも当然届き、「しつこいぞ」と一蹴されてしまった。ほ、本当に行ってくれるんだ!? カップルパフェ……、カフェの看板に堂々と載せられていた写真を思い浮かべる。いちご味だろうアイスクリームにハートの形のチョコレート。たっぷりの生クリーム。もう当分甘いものはいいですって言えちゃいそうなくらい、だいすきが詰めこまれた夢のようなパフェ。
「よかったね、篠村さん」「もうひとがんばり、だな」来馬くんと堤の励ます声に、わたしは大きく頷いた。それから、「二宮ぁ俺も焼肉食いてー」「テメェで行け」と太刀川と未だやりとりを続ける二宮に笑顔を向けて、立ち上がる。

「みんな! 今日は集まってくれてありがとう!」
「おっ、演説か?」
「わたし! みんなの分ジュース奢る!いや奢らせて!」
「そう思うなら先にレポートを終わらせてほしいわね」
「大丈夫マッハで終わらせる今度こそっ! 二宮手伝って!」
「おい、引っ張るな」

 組まれた腕をシャツを引っ張って解き、望に避けてもらって席を立つ。
 例えばもしも、わたしや太刀川が。模範学生であったならば。みんなとこうして集まることはなかったのかな。ううん、きっと違う。なんだって理由をつけて集まっただろう。
こんな世界だから、いつまでこうやってこの空気を保つことができるのか、未来はぜんぜんわからない。けれど、だからこそ、大切にしたい。わたしにとって、みんなにとって、少しだけ心を緩める事の出来るこの空間を。
 みんなの好きな飲み物を思い浮かべながら、右手に財布を、左手に二宮の腕を、それからすこし未来に成績を見た時の忍田さんの安堵した笑顔と、模擬戦とカップルパフェを。ぜんぶ握って、歩き出す。きっと明るい未来への1歩だと信じて。







「…鈍感って怖え~」
「カップルパフェって聞いた二宮くんの嫌そうな顔が見たかったのに、つまらないわ」
「篠村はあれ、気付いてないんだよな?」
「二宮くんも大変な子を好きになったもんだ…… …!」
「……ま、五年後も告白できないに一票入れとこうかしら」
「おっ じゃあ俺は二宮が痺れ切らして襲って号泣されるに一票」
「こらこら……」

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