水上の白いシャツに落ちる夕陽の影が綺麗で、この風景をわたしは忘れないだろうな、と思う。

 かねて興味があった落語のチケットを2枚ぶん、水上が持って来てくれたのは1ヶ月前の事だった。

 たとえばこれが映画だったならば、もしくは何かラブストーリーの舞台だったり、ショッピングであったなら。もしかしたら周りからはデート中の恋人、に見えたかもしれない。
 でもわたしは今日、ただのボーダーの仲間同士だとしても、そして行く先が落語だとしても、水上とこうして並んで歩く行く事を、すごく楽しみにしていたのだ。自分の隊長に頼み込んで、非番を生駒隊に合わせてもらったくらいには。そんな今日の終わりを、オレンジ色した太陽が告げようとしている。

「楽しかったねー」
「さっきからそればっかり言うとるやんけ」
「だってほんとに楽しかったんだもん! うどん食べるのとか、扇子で、よくやるよね。こうやってさ、ずずーって」
「下手くそ」

 ぶっきらぼうに投げられた言葉には笑いが滲んでいて、水上が少なからずわたしと2人で出かけたことに対してつまらないと感じていないと解り、安心した。
 水上はいつだってわたしの知らないことを沢山知っていて、なのに本人はそういう所をひけらかしたりしないから、ボーダーにいるといろんな人に出会うけれど、その中でとくべつ、このひととと友達になれてよかったなあと思うのだ。水上といると、いろんな扉を開くことができるから、わたしもただの仲間とかじゃなく、友達として、水上に例えばほんのちょこっとでも、わたしといると楽しいだとか、そういう風に思ってもらいたい。それくらいしか、できることがないのが歯がゆいけれど。

 住宅街の中を、影がふたつ、伸びる。あと角をひとつ曲がれば家に着くという所で、そうだ。と思いついたふりして自分の両手をぱん、と軽く合わせた。

「せっかくチケット取ってくれたし、なんかお礼したいな」
「気にすんなや。元々譲ってもろたもんやし」
「でも」

 頭ひとつぶん。高いところにある水上を、縋るみたいに見上げる。明日になれば、わたし達は学校に行ってボーダーに行って。いつも通り、だ。でもそれが少し残念なような、もっと先につなげたいような、水上と仲良くなれた今日を簡単に終わらせたくないような。そんな気持ちで、今までの会話をフル回転させて思い出した。何か糸口でもあれば。軽やかに人と人との橋を渡る水上の、ほんの少しをわたしも掴んでみたい。わたしも水上に、こんなことできるよって、知ってもらいたい。

「そうだ、今度ウチおいでよ! すぐそこなんだけど」
「は?」
「え、ダメ?」
「いやアカンやろ」
「でも水上が好きそうな漫画とかあるよ。今日映画館の前通った時、興味あるって言ってた映画の原作あるし」
「いやいやいや」
「なんで? 部屋汚くないよ? あっ部屋におっきいテレビあるよ! こないだ買ってもらっ……」
「なんでってお前、余計アカンわ。汚いとかテレビとかそういう問題とちゃう」
「?」

 水上は少しだけ眉を寄せて、右の手で自分の耳の裏のへんを掻いている。困ったような、でも怒ってるふうにも見えなくもないような。今の今まで見た事のない、言おうか言わまいか、迷っているような表情に、怒られるのかと不安になる。水上はいつだって迷わず、鋭い精度で正しい答えを選択する事ができるのに、こんな顔するって事は、よっぽど何かが気に障ったのだろうか。

「しゃーないな。……… 篠村、真剣に聞けよ」
「?」

 過去に参加した、生駒隊主催・真織ちゃんのお家でのたこ焼きパーティが楽しかったから、そういう感じで誘ったんだけど、どうやらこのわたしの会話は水上にとって正しい選択肢ではなかったようで、それ取り戻すために、兎に角、謝ろうと思った。―……ごめん。立ち止まって出かけたそれは、告げられた言葉の衝撃にどこかへ吹っ飛ぶことになる。

「お前は俺の事友達としか思ってへんのは知ってるけどな」
「え、うん」
「俺お前の事好きやねん。せやから、部屋にも家にも入る訳にいかん」
「……………エッ?」

さっきまで迷いの表情を見せてたくせに、まっすぐ、わたしの瞳の奥を見つめてくる水上の視線を、この空気を、逸らすように聞き返す。

「聞こえてへんのかい。だから俺はお前が好―…」
「きっ 聞いてた! けど!!」
「お前言わんかったら一生気付かんかったやろ」
「気付、」

 ともだちと、好きで……部屋。あ、あ~……だから! なるほど! あたまの中のわたしがどこか遠くで小さくポン! と軽快に手を打つ。え、水上、わたしの事すきだったんだ へえ~………

 「あぶない」

 急に腕が伸びてきて、水上の手のひらによって、わたしの肩が引き寄せられた。わたしたちのすぐ傍を自転車が通る音がする。それだけならありがとうとお礼を言うだけなのに、熱が顔に耳にぜんぶに集まって、どんどん赤くなっているのが自分でもわかった。心と身体がべつみたいに、どうしようもなく熱くなるのを抑え切れない。

「なっ……」

 そして出てきた言葉がこれだから、わたしの選択肢は幅がせまい。自転車がどこか遠くにいってしまってようやく、水上から距離を取ることができた。

「な?」
「な、な……なんでそんなに普通なの!?」
「はあ?今のは普通に危ないから避けたんやろ」
「ありがとうだけど! だけど!」
「顔めっちゃ赤いな」
「だ、誰のせいで! ~~~~~か、帰る!」
「帰る言うたかてそこ角曲がったら家なんやろ」
「何で知ってるの?!」
「さっき自分で言うとったやんけ、落ち着け」
「落ち着けるか!! ばいばい!!!!」
「おーおー。歯磨きして寝ろよ」

 ひとつぶんの角を走った。ほんとはありがとうとか、言うつもりだった。だってチケット取ってくれたし。非番の日も合わせてくれたのはどっちかっていうと水上のほうだし。お昼ごはんに選んでくれた店も空いてるのに感じのいいお店で、おいしかったし。送ってくれたし、楽しかったし。なのに。

 急いで閉めた玄関扉を背もたれに、ずるずるとしゃがみこむ。わたしはこんなに簡単に、この扉をくぐる事が出来るのに、水上にとってはそうではないんだ。
落語を見ていたから。お昼ごはんをみてたから。映画館の看板を見てたから。夕陽の影ばかり、見ていたから。水上がいつだって男の子として、わたしを見ていたなんて気づかなかった。
 ドッドッと跳ねる心臓がうるさい。うるさいのに―………好きや。告げられた声が、耳に張り付いて離れない。
ほんとうに、忘れられない日になってしまった。








「なんや調子悪いんですね」

 良くも悪くも気持ちに調子が左右されるのがお前の弱点や。と伸び悩んでた頃、水上に指摘されたことがある。熊ちゃんに頼んで付き合ってもらった模擬戦を1本も取れないまま終え、自販機の前でぼーっと何にするか選んでいたところだった。後ろを振り向けば、換装体のままの隠岐くんがいて、思わずその隣に水上が居ないか確認してしまう。今は、まだ。会えるほど気持ちの整理がついてない。

「モニターでたまたま見てたんですけど」
「あ~~~……ね。ねえ。何やってんだろうね、はは……」

 隠岐くんが1人でよかったと、水上がいなくて良かったと、ほっとする自分が嫌だった。調子を落とす自分も、声を掛けてくれたのにごまかすように笑う自分も逃げた自分も水上の言葉に答えを見つけられない自分も。
 過去問を先輩からもらうとか、ログを見てクセを掴むとか、そうやってどうすればいいのかわからない時を乗り越えてきたけど、告白に過去問もログもないからどうすればいいのかわからない。換装体だから喉なんて渇かないはずなのに、隣の自販機を同じくぼうっと見つめる隠岐くんに視線を移す。そうだ。隠岐くんなら。

「と 友達の話なんだけど」

 ぼそ、と呟いたら言葉のはじめが震えていた。怪しまれないように、動揺を悟られないように、わたしも自販機のココアのボタンを押し、手に取る。
 隠岐くんならきっと、何度もこういう経験があるだろう。名前は出さないから、相談だけは許されたい。話しかけられたのがわかった隠岐くんは自然にわたしを少し離れた場所に誘導した。

「告白……をね、されたんだけど、どうすればいいのかわかんなくって。隠岐くんてさあ、告白された時って」
「えっ  篠村先輩告られたんですか」

 サンバイザーの下で目をまんまるくした隠岐くんに「友達の話!!」と念を押すと、隠岐くんは納得はしていないようだけれど少し視線を上に逸らして、ふむ。と呟いて考えるように顎に手をやる。

「そうですねえ……別に、好きな子とか彼女おらんくて、いい子そやったら付き合ってもええかなとは」
「ま、まじか」

 さ、さすがイケメンと称されるだけある……。そんなスマートに事が進むものなのか……。1つ年下なだけなのに、わたしがより発展してる………。吃驚して次の言葉を発せないでいると、今度は隠岐くんがわたしに尋ねる。

「どうすればいいかわからんっていうと、友達とかから告られたとかですか?」
「そう。……そうなの、友達が、友達と思ってる人に」
「うーん」

 友達、を出来るだけ強調したつもりだけれど、怪しまれてはいないだろうか。

「友達としてしか見れんとか、今の関係崩れるんいややーとか?」
「そういうのじゃなくって…」
「違うんですか。じゃあ何が」
「なんか……なんかなんでわたしなんだろう?!っていう……?」

 ほらわたしこんなじゃん。続ける。
 別に……強いわけでもないし。頭がいいわけでも、かわいいわけでも美人なわけでもないし。付き合うってなっても、たぶん。期待を裏切ることばっかしちゃうっていうか…、応えられなさそうだし。
 言ってて情けなくなってきたので、最後の方はすごく小さな声になってしまった。ほんとに、どうして水上は、わたしなんだろう。水上はなんだってできるのに。水上が選んでくれたわたしをわたし自身がこんな風に卑下することも、ほんとはよくないことってわかってるから、隠岐くんの顔が見れないで俯く。

「断るつもりはないんや」
「えっ? こ、断る?」
「いや、迷ってる割には、ごめんなさいーする気ないんかなと思って」

 断る……。初めて出てきた選択肢に、わたしは水上を思い出す。困ったように耳の裏を掻く顔を。自転車から避けてくれた手の強さを。 篠村と呼んでくれるあの声を。時々面倒そうな顔をするけれど、いつだってなんだって教えてくれる優しさを。

「……考えたことなかったな」

 わたしが呟くと、隠岐くんはふ、と口の端を持ち上げて優しく微笑んだ。
 
「告白するのって、付き合ってほしいとか、勿論そういう気持ちもあると思いますけど そうやって自分の事真剣に考えてほしいっていうのが一番やと思います。そうやって、一生懸命考えてくれる 篠村先輩やから、その人は好きなんちゃうんかな」
「そう…………じゃなくて! 友達の話! だから!」
「そうでした」

 からからと隠岐くんが冗談ぽく笑ってくれたので、心が軽くなるのが自分でもわかった。そうか、応えたいのか、と思う。水上が言おうか迷って言うと決めた言葉に、今まで優しくしてくれた気持ちに、わたしは応えたい。

「なんか、ありがとう。ココアあげる。後で飲んで」
「ありがとうございます。ま、とりあえず付き合ってみて、嫌になったら別れたらエエやないですか。付き合ったらわかることもあるやろし」
「えっ ヤダななんか、とりあえずとか別れるとか……」
「へえ、嫌なんや。―……あ、イコさん ……と水上先輩」

 向こうから、隊服姿の生駒さんと、制服のままの水上が歩いてくるのが見えた。「いや、でもなあ」と2人で話すには大きな声で生駒さんがなにやら水上に言ったあと、すぐに目が合う。つい、思い切り逸らしてしまった。あ、か、感じ悪かったかも……。

「よう つぐみちゃん」
「ど、どうも…………」
「なあ隠岐、今水上と話しとったんやけどやっぱギターの弾ける曲数増やそ思て。参考までにつぐみちゃんは何が好き?フォークソング?」
「そ、そうですね……」

 水上が、わたしを見ているのがわかる。隠岐くんのおかげで決心したとはいえ、顔が赤くなるのをどうにか抑えるのに精一杯で、顔を向ける事ができない。
 「やっぱ弾き語りは強いなあ」と生駒さんが得意気に呟いてから止まった会話を、隠岐くんが繋げる。

「ええですね、ほんならイコさん、隊室で練習しましょよ。マリオにも海にも披露したらんと」
「せやな、水上も戻るか?」
「あ、水上先輩はお茶買いたいんですって」
「そんな事言うとったか?」
「ま、ま。ええですから。行きましょ行きましょ」

 そのまま隠岐くんが生駒さんの背中を押して隊室の方角へ向かった。一瞬、隠岐くんがわたしを見て口の端を片方上げた気がするけれど……、バレてない……よねたぶん……。

 賑やかな空気が一変、しんとする。もう、腹をくくるしかない。
「あ、あのさあ!」ぎゅっと両手で握りこぶしを作って切り出した。

「話があるんだけど!」

 どうかこの選択肢が正しいものでありますように。 








「そんな押さんでも自分で歩けるわ」
「で、でももうちょっとあっちで……」

 人通りの少ない廊下に場所を変える。触れた背中から発熱しそうだった。制服の水上なんて見慣れてると思ってたのに、あの日から廊下ですれ違う度に、ボーダーで会う度に、避けても避けても視界に入ってきて、全然ちがうひとみたいに見える。

「そんで? こんな人通りの少ないとこで何するつもりやねん」
「わ、わかってるくせに!」
「こないだのお礼か?」
「ちが、……それは今度するけど! そもそもお礼言ってなかったのごめん、先に謝る」
「本気にすんなや。俺が誘ったんやし」
「………………………前も思ったけど、なんで、そんな普通なの?」

 向き合った水上はほんとにいつも通りの水上の顔で、悔しい。わたしばっかり、恥ずかしくて、顔が熱い。水上はいつだってわたしより1枚も2枚も上手で、だからこそ仲良くなれて嬉しかったんだけど、告白の返事されるって時にも、男の子って、顔色ひとつ変えないものなんだろうか。それとも、水上が特別なだけ?

「アホ、これでもめっちゃ緊張しとるわ。お前返事するつもりやろ」
「え……」
「好きな奴にフられるかもしれん時に余裕もクソもあるかい」
「えっ」
「えっ、て何や、えって」

 水上の目を見つめる。久しぶりに交わる視線に、戸惑いの色がほんの少しだけ覗く。
 はやく。はやく言わなくちゃ。特別でもなんでもなかった。普通でもなかった。わたしがどうすればいいのかわかんなくなってる間、水上もそうだったんだとようやく分かる。


「水上」

 一番呼びたい名前を口にする。視線が逸らされた。ちがうの。

「すごく、わたし、軽率だった……、ごめんなさい。普通にしてくれて、ありがとう。それで」

 たぶん水上は頭がいいから。いろんな未来を予想してる。わたしは頭よくないけど、でも水上がどの未来を、今、予想してるのか、わかる。ちがうの、ちがう。だからそんな顔をしないでほしい。

「あの、わたし。こんなだから、こんなだから…もう知ってると思うけど、あんまり期待に応えられないかもしれないけど応えたいから、」

「だから、水上がよかったら、水上の……彼女にしてほしい、です」

 しん、とした。ま、間違っただろうか?! そもそも付き合ってくれとか言われてなかったような……! あっコレわたしの勘違いだったらめちゃくちゃ恥ずかしいやつだ……! 背中に汗をかく。好きって、自分の気持ちを伝えるのって大変だ。でも、それを、わたしのためにしてくれたんだよなあ。そう思うと余計に身体が熱を持ってどうしようもなくて、それをどうにか発散したくて、水上の顔色を窺うと、逸らされた視線がようやく合った。そして、「篠村おまえ……」と顔が上がる。いつもの、わたしを見るあのかお。

「……デカいテレビ自慢したいだけちゃうやろな」
「えっテレビ……… ちっ! 違うよ!! めちゃくちゃ真剣に考えたんだからね!! ひどい!」
「いやわかっとる。……冗談言ってやな落ち着かん」

 フーッと水上が息を吐き出す。
 ということ、は、水上もわたしの気持ちを汲んでくれたってことだ。じゃあ、今から水上と、付き合う……ってことで、いいのかな。

「お前ほんま勘弁してくれや。いやいきなり言うた俺も悪いか」
「勘弁って?」
「めっちゃ逃げるし、視線逸らすし、隠岐と話してるし、フラれるん決定やろこんなん」
「お、隠岐くんは相談してただけ……あっでも名前だしてないから大丈夫!」
「絶対バレてるからなそれ。 あー……」
「怒った?!」
「いや、ちゃう。……あかん、頬が緩む……」

 口元を片手で覆って、顔を隠した水上を、ぽかんと馬鹿みたいな表情で見上げる。水上が、こんな顔をするなんて。こんな顔に、させることができるなんて。
 一体いつから、水上はわたしにしかしない顔を向けてくれていたんだろう。応えたい、とおもう。見逃したくない、と、思う。付き合ったらわかることって、こういう気持ちのこと? 水上の制服のシャツが、やけに白くて眩しい。

20xxxxxx / まばゆい