お弁当食べよう! というお誘いに返事はなかった。代わりに三輪くんはわたしの顔を見て顔を顰める。きっと未確認生物を見た時だってここまで歪んだ表情はしないだろう。

「…………なんだその顔…………」
「体育で転んだ!」

 昼休みにもなると説明が上手くなるものだ。一時間目の体育がダンスだったからちょっといいところを見せようと側転をしたらこのザマ。盛大にすっ転んだわたしはわんぱく小僧よろしく頬に擦り傷を作り、保健の先生に立派な絆創膏を貼られてしまったのだった。

「その後先考えない性格はいつ治るんだ」

 お弁当を開ける前に三輪くんが呆れた溜息を吐き出す。
 屋上で一緒にお弁当を食べることができるのは、三輪くんの防衛任務がお休みの日だけだった。昼休み開始のチャイムと同時に廊下から三輪くんのクラスの窓を開ける。席替えをしてグラウンド側の席になった三輪くんに届くように名前を呼べば居心地の悪そうな顔をして振り向いてくれる、ここまでが一セット。
 始めこそクラスの人にまじまじと見られたり米屋くんに笑われたりしたけれど今じゃわたしが教室の窓を開けてもわざわざ振り返る人はいない。未だに苦いものを噛み潰すような顔をしてなけなしの抵抗を見せているのは三輪くん一人だけで、それがなんだかおかしかった。

「三輪くんが心配してくれてる……………」
「怒られたいのか?」

 何があったか知っていてほしい、なんて小さな子供みたいだろうか。でもお弁当より先に三輪くんがわたしのことで頭を悩ませてくれているなんて夢みたいだった。しかしそれを口にするといよいよもって手刀が飛んで来そうで口を噤む。怒らせたいわけじゃない。

「わかった。もう側転はしない」
「当たり前だ」
「三輪くんが困るから」
「俺がじゃない」
「だっていつも心配してくれるよ」

 今だってわざと三輪くんが風避けになってくれているのをわたしは知っている。
 屋上のすみっこ、三輪くんにぴったりくっついて風からも守られながらのんきに卵焼きなんか口にしようとしているわたしはまるで平和を体現したかのような存在だった。

「いつでも見ててやれるわけじゃないんだ」

 その言葉通り、ひとたびボーダー隊員の三輪秀次くんになれば三輪くんの手や目はわたしよりもっと大事な、価値のある何かに向けられる。
 今この瞬間、心底安心してお弁当を食べられるのだって三輪くんたちが町を守ってくれているおかげ。わたしの頬の傷なんて比べ物にならないくらいの痛みを知っているのだとおもうと途方もない気持ちになる。
 だからわたしはわたしだけで自分のことを守れるようにならなくちゃいけなかった。例えば屋上で座ってお弁当を食べる時には地面にハンカチを敷くこと。夜道はひとりで歩かないこと。化粧水と乳液を順番通りつけること。ちゃんと寝ること。
 三輪くんと付き合っているうちにわたしはずいぶん自分に優しくなってしまったように思う。

「そこは愛の力でなんとか」
「………つぐみ」
「はい すみませんでした」

 わかったならいい、とわたしの前髪をぐしぐしにしながら言う三輪くんはどこか寂しげだ。飼うことのできない野良猫にミルクを与える時のような無力感を思い起こさせる表情。そんな顔するくらいならわたしのやることに呆れてくれたほうがいいと思う。嫌そうな顔だってしてくれたほうがいいと思う。だから怪我したってなんだって、わたしは死なないんだって三輪くんが思い知るまで何度でも隣でのんきに笑ってやりたかった。
 三輪くんのマフラーが風に乗ってはたはたと揺らめく。赤い色はよく目立つからわたしが三輪くんを見つけるのにきっとよく役に立つだろうと思った。

20221022 / うつろいきえてゆくのだとしても