誕生日と聞いて何を思い出すだろう。
 私の最初の記憶は三歳の時。当時大好きだったキャラクターのポシェットを貰ったのをよく覚えている。その頃の私の写真は全てそれを肩にかけて満足そうだ。
 次に思い出深いのは小学四年生の時。幼なじみを呼んで誕生日パーティを開いた。近くに越してきた二宮のお母さんがケーキを焼いてくれて、その美味しさに驚いた。
 去年はお酒の解禁で、堤くんが幹事をしてくれたボーダーの同い歳組で飲み会があった。太刀川の勧めるお酒の度数が強くてヘロヘロになった。
 総じて、わたしの誕生日は幸せな思い出で満ちている。だから誕生日というのは私にとってとびきり特別な日だ。



「たっ…………高~~~!? なにこれ隊長ってこんなの買えるくらい給料高いの!?」

 ラウンジにわたしの叫び声が響く。向かいの席に座ってわたしにスマホを差し出した里見くんが何故か誇らしげに腕を組んでウンウンと頷いていた。
 
 毎年十月は新入隊員の募集時期だ。九月に今年二度目の入隊式を迎えたばかりなのにご苦労な事だとは思うが、万年人手不足なのだから仕方ない。この時期は三門市の至る所に「未来を作るのは君だ!!」との力強い文言とともに嵐山さんがプリントされたポスターが掲示されている。
 今回入隊希望した子たちが入るのは一月か……と爽やかな笑顔の下に書かれた応募締切日を眺めているとき、あることに気が付いた。
 二宮の誕生日だ。
 毎回、誰かの誕生日や年末年始は同い年組でご飯会を開くのがなんとなく決まり事みたいになっている。どうせ焼肉か居酒屋になるのだろうが、そろそろ店を選ばなくちゃならなかった。
 ……のだけれど。
 今回は全員出席は期待出来ないだろうなあ。少し残念に思う。
 いつでも呑気な野良隊員である私と違って、同い年のメンバーといえばほとんど皆隊長を任されている。最近は選抜試験もあったり、噂ではそろそろ幹部候補になっている人もいるらしい。おまけに大学もあるとなれば忙しいのは当たり前だろう。
 他でもない、その筆頭が二宮だった。
 確かに二宮は幹部に相応しい人間だと思う。親しみやすいリーダーとはいえないかもしれないけれど、二宮の判断にはいつもブレがないし、着いていく人間に迷う隙も与えない。高圧的な態度に反感を覚えこそすれ、どこかこの人に従っていれば大丈夫だと納得すらしてしまう。
 立場を上手く利用できるだけの頭と強かさがあって、その上学業も戦績も申し分ないとくれば上に立つ人間として名前が上がるのは当然だろう。

 ………………でも二宮、大丈夫かなあ。

 自他共に厳しく、一見頼れるリーダー像と相違なく見えても放っておくとすぐ一人で全部背負い込んでしまうし、こうと決めたら周りが見えなくなっちゃって敵を作りやすい。
 二宮はそれでいいんだと思う。やると決めたらやる、やりたい事をやる。そういうシンプルな男だ。でも、私は二宮が誤解されてるのは悲しいし寂しかった。
 二宮には頼れる仲間がいて、頼っていいんだよって言える場が欲しかった。
 だから誕生日のご飯会はそのためな絶好の機会だったのに、こういう時だからこそ開催できないのがもどかしい。
 それで、会の開催は別にするにしても二宮の誕生日本番は私がサプライズでお祝いしようと閃いたのだった。

「流石二宮さん! って感じですよね〜! 王者の風格!」

 誕生日を祝うために、まず私が頼りにしたのが里見くんだ。
 里見くんは自他共に認める二宮信者である。二宮の戦い方から今夜の晩御飯のおかずまで網羅していると言っても過言ではない。味方につけてこれほど頼もしい人物もいないだろう。
 今年は冬になるのが早いのか、はたまた三門が特別寒いのかわからないが最近めっきり朝晩は風が冷たくなった。
 だからあげるならなんとなく暖かいものがいいなあと思い、里見くんに二宮の好きなブランドを調査してもらったのだけれど。

「…………にっ、二宮のくせに………………」

 里見くんのスマホを両手で握る。そこには二宮が愛用している洋服ブランドのオンラインサイトが表示されていた。
 スクロールすればするほど二宮が着ていそうなシンプルな服が並んでいる。それはいい。そこまではいい。問題はその値段だ。

「シャツが二万五千円、ジャケットがごっ……ごまんえん!?」
「あ、二宮さんのベルトはこっちのブランドです」
「ベルトも五万してんじゃん!!」
「なかなか買い換えるものでもないですから、お金掛けてるんじゃないすか? しびれる~!」
「私は違う意味で痺れそう……」

 あんな、おしゃれに気を遣ってることなんて微塵も感じさせない無愛想な顔してるくせに普通にお金かけてるのかよ!! 来馬くんならまだしも!!
 隊長クラスのお給料に思いを馳せながら拝借したスマホを操る。
 いつも私が着ている服より桁がひとつ違う。コートでくらいしかこんな金額出したことないよ……。
 でも二宮が散財する先なんて焼肉か身なりを整えるためくらいしかなさそうだし、どこか納得したりもする。恐ろしいほど衣食住以外に興味のない男だ。そういえばひとり暮らししてるお家だって無駄なものはひとつもなさそうなよく整理整頓された部屋だった。
 ……私からのプレゼントなんていらないんじゃ、なんて怯みかけたけど、やっぱりお祝いはしてあげよう。なにせ誕生日はとびきりの一日でないといけないと決まっている。二宮のお父さんは昔から忙しくしていてあまり顔を見る機会がないし、お母さんだって二宮が中学に入ってから仕事を復帰し始めて忙しいのだ。それに加えてひとり暮らしだし、友達だってボーダーの子たち以外に見たことが……この話はやめよう。
 きっと、今の二宮に必要なのは生理的な欲求を満たすものじゃなくて、見ただけでその時のことや貰った時の気持ちまで思い出すようなもののはずだ。そういうものをあげたかった。一見無駄で、でも元気に生きるうえにとっても必要なもの。
 と決意しなおしたところで、ふと指が止まる。

「……里見くん、これどう思う?」
「お! ……お~? イメージではないすね。でも似合いそう! 二宮さんだし!」
「だよね!」

 私たちふたり分の視線の先にはベージュのニットが掲載されてる。優しい色をしているそれは見てるだけで暖かそうだ。里見くんの言う通り、二宮がいつも着ている黒とかネイビーとかのどこか人を寄せつけないような色からはちょっとイメージが違うけど、これを纏えばあの柔らかい栗色の髪がもっと穏やかに見えるだろう。
 二宮隊の隊長で射手個人ランク一位の二宮匡貴じゃなくて、私の知ってる二宮みたいに。
 二宮に着て欲しい。これをあげたい。直感でそう思った。

「……これにしようかなあ」

 そう零すと、里見くんが目を細めて笑った。

「いいと思います! ちなみに二宮さんのトップスのサイズはモノによってはLみたいですが、大抵はMらしいですよ! オーバーサイズの服はあまり好きではないようですね!」
「さすが里見くん! かゆい所に手が届く!」

 当日に渡す想像をしただけでなんだか楽しくなってくる。スマホのディスプレイの中から、ニットが早く買って! とせがんでるみたいに見えてきた。喜んでくれるかな。驚いてくれるかな。絶対に誕生日まで内緒にしておかないと!

「喜んでくれるといいなあ~」
「喜ぶでしょ! 喜びますよ! 二宮さんなら!」
「里見くんに言われるとそんな気がしてきた!」
「おれほど二宮さんを見てる人間はいないですからね!」
「確かにそうだよね! じゃあこれにする! ありがとう里見くん!」
「二宮さんのためなら何なりと!」
「よっ! 二宮親衛隊隊長!!」

 えへんと鼻を高くする里見くんに手だけで紙吹雪を降らせる真似をする。二宮の誕生日がうまくいった暁には、お礼がてらきっとみんなで焼肉に行こうと思った。
 
 
 


 とはいえ当初の予算を大幅に上回ってはいるので。

「……またお前か」
「まあまあ二宮さん。勝手知ったる仲じゃないですか」

 20時からの防衛任務に入るため、本部の屋上ゲート前で待っていたら程なくして今日のシフトのお相手である二宮隊がやって来た。いつも通り時間ぴったりで感心すらしてしまう。
 一ヶ月後に迫る二宮の誕生日プレゼントを決めた、それまでは良かった。が、何よりも必要なのはやはり資金だ。唐沢さんがいつも奔走している理由がよくわかる。
 という事で空いているシフトには積極的に入ることにしてはや二週間。二宮隊と一緒になるのはもう三度目だった。辻くんが私と目が合うやいなやヒッと息を飲むのもいつものことだ。

「一体何を企んでる」
「人聞き悪いなあ」
「どうせろくな事じゃないのは目に見えてる。言え」
「ひどい!」
「言え」

 二宮は容赦なく片手で私の両頬を掴んだ。仮にも女子の顔に触れるというのに遠慮がなさすぎる。否応なしにタコの唇のようになった私の顔を見て、そばに居た犬飼くんが小さく噴き出した。

「言え」

 怖!! いつにも増して圧が強い。黒スーツの威圧感も相俟って、睨みつけてくるその瞳に思わず怯んでしまいそうになってしまう。
 確かに、二宮が警戒するのは仕方ない。普段わたしが起こした面倒事に巻き込まれるのが主に二宮だから。
 二宮の感情抜きにした揺らぎのないところが怠け者のわたしにちょうど良く、課題が終わりそうにない時も戦闘の調子がよくない時も商店街の福引でペアの映画券が当たった時なんかもなんだかんだ結局頼りにしてしまう。でも、今回だけはそうはいかなかった。負けじと睨み返す。

「に、…………二宮にだけは絶対言わない!!」

 というか言えないに決まってる。だって頑張ってるのは二宮の誕生日を祝うためなのだから!

「…………」

 なんとか腕を振り払うと、しばらく二宮が無言で私を睨んだ。ブラウンの瞳にじっと射抜かれているのは全て暴かれてしまいそうでなんとなく心地が悪い。
 でも、誕生日といえばサプライズだと相場が決まっている。あのニットを思うと今すぐネタバレをしてしまって驚く顔を見たくなるとはいえ、最高の状態でその日を迎えるためには内緒にしておくのが一番だ。

「………………俺は北西を担当する。辻、行くぞ」

 その内、二宮が根負けして視線を逸らした。

「は、はい!」
「犬飼りょーかいでーす」

 踵を返し去っていく二宮に遅れて辻くんがその背中を追いかける。残された犬飼くんと私がペアで任務にあたれということらしい。辻くんがいるから当然とも言えるけれど。
 なんとか隠し通せてホッとしていると、犬飼くんがわざとらしく溜息をついた。

「……あーあ、二宮さん拗ねちゃった」
「拗ねる!? あれくらいで!?」
「そりゃそうでしょ、明らかに内緒にされたら誰だって気分悪いですよ」

 確かに……。犬飼くんのあけすけな言葉がずんと自分の中に響いて、お腹のあたりが重くなる。
 ちょっと悪いことしちゃったかな。私がしゅんと俯いたまま黙っていると犬飼くんは困ったように目尻を下げて笑った。
 そんなつもりはなかったけれど、これじゃまるで仲間外れにしたみたいだ。隠し事をされていい気持ちになる人はいない。私だってそうされたら悲しくて二宮みたいに……、いやそれ以上にしつこく食い下がっているはずだ。

「…………でも、二宮の誕生日プレゼントのためだから……」

 自分自身に言い聞かせるようにぽつんと呟く。犬飼くんはそれを耳にして、意外そうに目を瞬かせた。

「プレゼント? 篠村さんが? 二宮さんに?」
「そんなに驚かれることかな? 変?」
「いや、変とは思わないですけど」

 うーん、ふーん、と繰り返しながら犬飼くんは自分のほっぺを人差し指で掻いている。そして少し考えた後にようやく口を開いた。何をどう話すか選んでいたみたいに見えた。

「篠村さん、二宮さんの誕生日覚えてたんだなーと思って」
「覚えてるよ流石に! 大事な同期だし!」
「同期……も、そうですけど。まあいっか。二宮さん喜んでくれるといーね」
「でも怒らせちゃったみたいだし……」
「いやー、拗ねてるだけなんで大丈夫だと思いますよ」
「だといいんだけど」
「お話中すみません。犬飼先輩、つぐみさん、場所は大丈夫でしょうか」

 亜季ちゃんから通信が届く。犬飼くんはもっと何かを言いたそうにしていたけれど、ゲートが開いてその後はうやむやになってしまった。
 空はもうすっかり高く、遠いところでチラチラと星が瞬いている。禁止区域の多い三門は壊された街頭も多くてどこか暗いから、星がよく見えた。
 
 
 
 
 ビク、と体が跳ねたと同時に眠りが妨げられてしまった。
 ラウンジで授業のレポートを作っていたつもりが、いつの間にか寝てしまったようだ。咄嗟に周囲を見渡す。パソコンのディスプレイに残る文字には増減が見られず、周りの風景だって眠りに落ちる前とそう変わらない。
 夜からはまた任務だ。寝坊による遅刻をしていない事にも、少ししか時間が経っていないことにも安心しているとふと肩に先程まで無かったはずの温かさを感じた。手を伸ばすと見慣れたジャケットが指先に触れる。

 こ、これは……五万のジャケットなんじゃ……………………。

 ゴクリと喉を下す。毎日顔を合わせているのに加え、このところずっと同じブランドのオンラインサイトを覗いているのだ。持ち主の検討なんてすぐにつく。
 ……返さなければ。できるだけ迅速に。できれば今すぐ。汚してしまう前に!
 もしシワをつけてしまって弁償になったとして、これ以上私は任務のシフトを増やすことができない。
 レポート途中のパソコンを閉じ、立ち上がる。ごく丁寧にジャケットを腕にかけると急いでラウンジを後にした。

「おっと!」

 それはちょうど二宮隊の隊室に繋がる廊下の角を曲がったところだった。
 こちらに向かって歩いてきている人がいるのも気付かず、勢いのまま曲がり角を曲がったらその胸元に派手にぶつかってしまった。鼻を抑えながら顔を上げる。東さんが驚いた顔で私の様子を伺っていた。

「東さん! ごっ、ごめんなさい!」
「大丈夫か? 悪いな、豪快にぶつかったろ」
「いえわたしが不注意だったので……、それに生身同士なので大丈夫です!」
「そういう問題じゃないと思うが……」

 苦笑いを浮かべた東さんが、手を軽く上げてすまないと謝る。その手には何かのファイルが握られたままで、また難しいことを考えてたんだろうなと思った。
 東さんには入隊した時からずっとお世話になっている。
 二宮のように同じ隊になったわけではないけれど、普段から二宮と望にくっついていた私は何かと一緒に面倒をみてもらっていた。
 上に立つ人だ。昔から知っているとはいえ本当はもっと敬う態度を取るべきなのだろうけど、東さんの飾らなさにはどこかつい親戚のお兄ちゃんのような安心感を覚えてしまう。

「二宮隊に用か? 二宮今留守にしてたぞ」
「えっ」

 だから、二宮と私の関係は東さんも自動的に知るところだ。
 今だって私が何かと二宮を頼ってしまうことをわかっていて先にその名前を出してくれたのだろう。どうやら東さんも二宮を訪ねていたようだった。その用事こそ知らないけれど、あの東さんがわざわざ何か資料を持って訪ねるくらいだ。やっぱり二宮は頼られて然るべき人間なんだと改めて認識させられる。

「どこ行ったのかなあ。これ返さなくちゃいけないのに……」
「ジャケット? 借りたのか」
「いや、さっきまで私ラウンジにいたんですけど、寝落ちしてしまったみたいで……。多分通りがかった二宮がこれ掛けてくれたみたいなんです」

 ふうん。そう息を吐くように言って、東さんが私の顔とその腕にかかるジャケットに交互に視線を移す。それから自身の顎を空いた片手で撫でた。東さんが何かを考えてる時によくする仕草だ。一体今の何にわざわざ考え込むようなことがあったのだろう。

「しかし篠村、大所帯で無防備なのはどうかと思うぞ」
「だって私野良だから隊室ないんだもん。仮眠室は予約が面倒だし」
「二宮隊の部屋借りればいいじゃないか」
「なんでですか」
「お前ら付き合ってるんだろ?」
「東さんほんとそのジョーク好きですよね」
「俺は本気なんだがなあ」

 東さんが軽く笑う。この手のジョークは昔から何度も言われているのですっかりあしらうのも慣れてしまっていた。歳を重ねるとどうも自分の事はそっちのけで新鮮な恋の話が聞きたくなるものらしい。

「で? 寝落ちするほどシフト入れて篠村はどうしたんだ。珍しいことだって忍田さんが褒めてたぞ」
「ほんと? 実は欲しいものがあって」
「へえ。何が欲しいんだ」
「お金!」

 私の答えを聞くと同時に東さんが噴き出した。げほっと背中を丸めて咳き込むものだから思わず手を添える。

「すまん、まさか篠村から漆間みたいな言葉が出るとは思わなくて……お前、大学の推薦貰ってたよな? そんな苦学生だったか」
「え!? いやそうじゃなくて、あの、もうすぐ二宮の誕生日だから」
「二宮の」

 凛とした声が驚きに包まれている。この間の犬飼くんといい、どうして私が二宮の誕生日を祝う話をすると驚かれるのか。

「そう。それでプレゼントをあげたいなーって。こういうの考えてるんですけど」

 若干不服に思いながらも空いてる手でポケットからスマホを取り出した。お気に入りに入れていたからか毎日見ているからか、オンラインサイトはすぐに表示される。ほら、と画面を見せると東さんが下の方の値段を見て片眉を上げた。

「……高くないか」
「そうなんです! だから働かなきゃいけなくて」

 ふむ。東さんは息をついたかと思うと、今度はじっと私を見つめる。

「彼氏でもないのにか?」

 いつもみたいにそうかと笑ってくれると思っていた私は、想定外の反応に戸惑ってしまった。
 探るような視線が刺さる。今更どうしてそんな眼差しを向けられるのかまったくわからなかった。同期の誕生日を祝うのって、そんなに変なこと?

「でも望にも太刀川にも堤くんにも来馬くんにもみんな誕生日してますよ。二宮だけ仲間はずれってわけにも」
「そうじゃなくてな……、ただの同僚に贈るにしては高すぎないか?ってことを言いたかった」
「うーん……確かに悩んだんですけど、二宮にはいつもお世話になってるしこの辺で機嫌を取っとかないと後で怖い気がする」

 腕を組み、眉根を寄せてそう言うと東さんが「まるで歳暮か賄賂だな」と笑った。

「私の単位は二宮にかかってると言っても過言じゃないですから」
「おいおい、篠村まで太刀川みたくなったら忍田さん泣くぞ」
「うっ……それはがんばります。あと、」
「ん?」
「最近二宮忙しそうだから。少しでもいいことあればいいなと思って」
「……へえ?」

 そのいいことのひとつに私がなれるかはわからないけど。すでに怒らせてしまっているし可能性はかなり低い。それでも二宮のために何かしたいという気持ちは変わらなかった。東さんはようやくその顔に笑みを浮かべる。

「二宮も喜ぶだろうよ」
「どうかなあ〜……前怒らせちゃったんですよね」
「あいつの仏頂面は今に始まったことじゃないから平気だろ。案外怒ってないかもしれないぞ」

 ええ〜と食い下がる私にホラと促し、一緒にラウンジへと戻る。よく手入れされたジャケットは持ち主に返されることなく、私の腕に掛かったまま静かに揺れていた。


 
 
 
 ボーダーの給料日は毎月25日だ。その日はちょうど一日玉狛のほうで任務だったから、今日になってやっと明細の確認ができた。
 教授が授業の締めを行おうとする傍ら、ひっそりと笑みが漏れる。ペンケースに隠して開いた通帳アプリにはいよいよ明日に迎える二宮の誕生日を祝うためには充分すぎる金額が表示されていた。
 目星をつけていたニットはオンラインで頼んでも良かったけど、せっかくなら実物も見てみたい。
 しかし今回シフトに入りまくった関係で、改めてトリガー開発の意見が聞きたいと急遽エンジニア部から夕方に呼び出されてしまったから買い物に出かけるためには三限をサボってしまわないといけなかった。
 授業を終わります、という教授の声で一斉に学生たちが席を立つのと同時に私も机の上を片付けて鞄とそれから傍らの紙袋を手に取った。

「二宮!」

 二宮は前の方に座っていたからか既に教室を出て2、3歩あるいたところにいた。その背中を追いかけて呼び止める。

「これ、この間のジャケット! 掛けてくれたんだよね? ありがとう。おかげで暖かくて風邪引かずにすんだ!」

 きっとまずは大きな声で呼び止めた事を叱られてしまうに違いない。いつもそうだった。だから二宮が口を開く前に紙袋を押し付けた。中身はジャケットだ。ずっと前に望と買い物をしたセレクトショップの袋に入れておいたから、二宮が持って歩くにも謙遜ないだろう……多分。

「あんな所で堂々と寝る奴があるか」
「返す言葉もございません」

 どうやら不躾に名前を呼んだ事よりこの間の私の醜態の方が気に障ったらしい。忌々しそうな顔をして二宮が紙袋を受け取る。顎で促され、隣を歩き出す。
 今日の二宮は仕立てのよさそうなシャツにパンツを合わせていた。
 改めて意識すると、姿勢の良さも相俟って雑踏のなかでその長身は一等目立って見える。ただ歩いているだけで同じように学食に向かう学生たちの数人が横目で二宮を盗み見ているのに初めて気付いた。もしかするとボーダー隊員というのも人目を引く理由のひとつなのかもしれない。

「あのーそれで二宮、重ね重ね申し訳ないんだけど実は三限のプリントをですね、お願いしたいんですけど……」
「知らん」

 呆気なく一刀両断されてしまった。私のお願いを無視して歩みひとつ止めない二宮の腕を両手で掴む。

「待ってよ! せめて話くらい聞いてくれたっていいじゃん!」
「知るか。そもそもお前は今日任務に入っていないはずだろ」
「そっ……それはそうなんだけど! でも今日は大切な用があって……」

 そう! 二宮へのプレゼントを買いに行くという! ……なんて言えるわけないんだけど。
 歯切れの悪いくせに引く気のないわたしを二宮が立ち止まって一瞥する。あ、ようやく目が合った。

「先に言っておくがお前が俺に何か買う気ならいらん」
「え!?」
「隠してるつもりだったのか」

 はあ、とやたら大きな溜め息が聞こえて全てを悟った。

「里見と犬飼と東さんから聞いた」

 う、……う、裏切り者ー!!!!!
 思わず廊下でエコーがかかるほど叫んでしまうところだった。み、味方になっていると思い込んでた三人がまさか内通してるなんて……!
 余程顔に出ていたのだろう、口をパクパクとさせるばかりの私に二宮が告げる。

「東さんの名誉の為に言っておくが全員が自らお前を裏切ったわけじゃない」
「嘘!」
「俺が聞いただけだ」
「絶対脅迫してるよね!?」

 確かに口止めした記憶もないけど! これこそ私が普段から詰めが甘いと言われるが所以である。
 そっか、そうだったんだ……、サプライズは最初から失敗してたんだ……。なんだか妙にがっくりときて項垂れる。こんなことなら最初から言っておけばよかった。そしたらあの日、二宮をわざわざ怒らせずに済んだのに。

「大体、お前にそうまでしてもらう義理もない」
「なんで?! こないだ諏訪さんには回らないお寿司たかってたじゃん!!」
「……」
「無視!?」

 諏訪さんがよくて私がダメなんて道理が通らない。
 確かに私は隊長でもなければお気楽な野良だけど、二宮には私だっているのに。
 二宮にそんな思いが通じるはずもなく、なんとかその隣を追いかけるようにして歩く。学食に行くには一旦構内を出る必要があり、話しているうちにいつの間にか外に出てしまった。

「どうせ飯屋も行くんだろ」
「行くよ! 行くけど、でも」
「何が不満だ。何かにつけて集まる口実を探してる癖して」
「だってそれじゃいつになるかわからないじゃん! 誕生日は当日じゃないと」
「やけにこだわるな」
「だって!」

 確かにそうだ。そうなんだけど、でも。
 食い下がるわたしに、二宮が心底訳が分からないといった風な目線を向けた。歩みを止める。
 俯くと二宮の革靴が見えた。一人でどこまでも行けそうな、しっかりとした靴だ。いつの間にこんな靴を履くようになったんだろう。いつの間に、ひとりでそういう物を選べるようになったんだろう。

「だって……」

 だって。
 二宮は誰かが眠っていたら自分のジャケットを脱いででも掛けてあげるような人じゃないか。
 いつもいつでも、自分が損をするなんて考えないでいる人だから。だったら二宮のことは誰が暖かくしてあげるんだろうって思ったから。
 暖かくて賑やかな場所にいてほしいよ。寒いところとか冷たいところとかじゃなくて。
 焼肉もいいんだけど、みんなでご飯にいくのは楽しいからいつだって行きたいけど、それとは別に今年は二宮になにかをあげたいと思った。私は二宮みたいになんでもはできないから、せめてそばにいることは知っておいてほしかった。確かに恋人と呼ばれるような間柄じゃないかもしれないけど、頼りないかもしれないけど、私たち仲間でしょ。

「……だって二宮には笑っててほしいから!」
 
 仲間だから、誕生日がとびきり素敵な日であって欲しいと思うことは普通のことでしょう。
 だけど、ぎゅっと二宮の腕を掴んだ手は呆気なく払い除けられてしまう。心底不快そうに眉根を寄せた二宮はまた足を踏み出した。

「とにかくサボりの片棒を担ぐ気はない。お前から何かを受け取ろうとも思わない。その金で加古と買い物にでも行けばいい」
「なんで!?」

 今度は立ち止まってくれない。腕を引いても背中のシャツを握ってもかたくなな二宮に必死についていく。二宮のために頑張ったんだから今さら他のことになんて使えるはずがないのに。

「じゃあもうオンラインで頼むから! 勝手に二宮のお家に届くようにしちゃうからね!」

 言いながら、カバンの中からスマホを取り出す。引くに引けなくて指が覚えたオンラインサイトを呼び出すと、隣からぬっと伸びてきた手がそれを奪った。

「必要ない。もう貰った」

 何を!? 何にもあげてないんだけど!?
 ますますもって意味がわからない。
 あの包装紙を捲る時のような浮き足立った気持ちになる何かが今の会話にあったというのだろうか。二宮にとってプレゼントに値する何かが?
 いやそんなはずはない。ということは、わたしのプレゼントなんかとは比べられないものを既に貰っているということだろうか。だから今年はいらないと……? それってもしかして、

「か、彼女……? からもう貰ったってこと……?」

 声が震えて、一歩が弱まる。
 想定外だった。
 だって二宮はお盆もお正月もゴールデンウィークもクリスマスも自分の誕生日でさえもいつもシフトに入っているのだ。
 高校生たちが夏祭りに行くってラウンジで話してるのを聞けば何も言わずにその日の任務にいたりする。そういう日に、普段とは違う場所に明かりが灯って賑やかになる三門を見るのが好きだった。二宮の隣で見る三門はどこよりも平和な町に見えたから。
 そんな二宮に彼女……彼女かあ……、立っているだけで周囲の目を惹く二宮だ。いたって不思議じゃないけれど、ボーダー隊員としても頼りにされていて大学生としても模範的で、その上彼女がいるなんて器用すぎるにも程がある。
 去年のクリスマスだって蓮ちゃんがとっておいてくれたケーキを任務明けの早朝から一緒に食べたのに、あの時朝から甘い物なんて食べられないと私に押し付けたのはその後彼女と一緒にディナーでも行くためだったんだろうか。
 ……ほんとにそんなの、二宮なの!? 何年も築いてきた私の中の二宮像がガラガラと崩れ始める音がする。

「どうしてそうなる」

 いよいよ立ち止まったわたしの額に、二宮が呆れ顔でスマホを押し付ける。

「ひ、否定しないじゃん!」
「呆れてるだけだ。そんなものはいない」
「だったらじゃあ好きな人がいたりして?」

 受け取ったスマホを鞄にしまいながらついでにした質問だった。けれど私はぴた、と二宮の動きが一瞬止まったのを見逃さなかった。
 う、うそ。突然のロマンスに誕生日そっちのけで心が浮き立ってしまう。

「い、いるじゃん!! その反応はいるじゃん! 誰!? その人と誕生日過ごすの? それとももうプレゼント貰ったの?」
「言うか」
「わたしの知ってる人? ボーダーの人?」
「さあな」

 ほ、本当にいるんだ! 一体、二宮が好きになるなんてどんな人なんだろう。きっと溢れんばかりの才能があって、聡明で物静かな美人で、そのうえ二宮と並んでも遜色ない人。望? 未来ちゃん? 亜季ちゃん? はたまた雨取ちゃん!? それともボーダーじゃない人!?

「ねえ、だれ?」

 思わず二宮の腕を両手で握ってしまう。だってこんなのトップニュースすぎる。それに、もしかすると恋の悩みなら私も初めて二宮の役に立てるかもしれないし! 勉強はからきしだけど恋愛ドラマなら嗜んできた方だ。
 内緒にするから! と続けて顔を覗き込むとやけにハッキリ二宮と目が合った。好きな人の話をしてるのに眉ひとつ動かさないやつだなあと思っていると二宮が口を開こうとするのがわかった。一言一句、その名前を聞き逃すまいと耳を傾ける。

「お前」

 驚いて時が止まったかと思った。

「…………………………お、オオマエさん?」
「誰だそいつは」

 どうやら聞き間違いじゃないことがすぐに証明されてしまったところで、呆然と二宮の腕を掴んでいた手を離す。
 二宮はこの手の冗談を言わないたちだ。ボーダーに入隊した時から――もっと言うと知り合った時から、二宮には貫くべき信念のようなものがあるように見えた。衣食住以外の欲や娯楽は二宮にとって邪魔でしかなく、進むべき道を行くためなら必要な人材を的確に選ぶことができ、時には友人や家族でさえも切り捨てることができるのだろうとそう思っていた。心は別の所に置いて、そうすべきという選択が瞬時にできる人間だと。

 その二宮が、私を好きだという。
 真っ先に役立たずだと切り捨てられるような私のことを。

 それはまるで地球が回転していたと知ったくらいの衝撃だった。
 もしかして里見くんが協力してくれたのも、犬飼くんが驚いていたのも、東さんが応援してくれたのもみんな知ってて、だから二宮に話したの? 私が鈍感で、そんな私に好意を寄せる二宮に同情して?
 なんて滑稽だったんだろう。カッと身体が熱くなる。私ひとりかなんにも知らずにただただ二宮の好意に甘えていた。
 私が見ていた二宮は全て私の都合良く作られた二宮だった。

「これに懲りたらいい加減人の内側に土足で踏み入ってくるような真似をするのはやめろ」

 動揺で何も言えないでいる私に二宮がたった今告白したとは思えないほどの平坦な声と表情でそう告げる。そしてそのまま背を向けたかと思うといつも通りスタスタと去ってしまった。
 三限までまだ時間のある構内は人通りも賑やかだ。スマホを見ながら歩く女の子達、規則正しく並べられたベンチで本を読む聴講生であろうおじいさん、イヤホンを貸し合う男の子たち。冬に差し掛かる木々は枝の色を濃くして、秋の香りがする風がゆっくりとその先につく葉を撫でていく。
 いつもと同じ風景だ。なのに私だけがいつもと違う。顔の赤みがいつまでも引かないでいる。

 一体いつの間に、なんて今更だ。
 二宮のことだ。私の事が嫌いなら今頃とっくに見限っているはずだ。私の日常にずっと二宮の姿があった、それが何よりの証明だった。
 堪らなかった。心のままに駆け出す。急に走り出した私に通りがかった女の子が怪訝な目を向ける。でもなりふり構ってなんていられない。

 なんで今まで気が付かなかったんだろう。どうして二宮が内側に触れるのを許してくれていたのか。どうして私は二宮に笑って欲しいのか。理由なんてひとつしかないのに。
 結局私は知らないことばっかりだ。二宮の好きな服のお店も、本当の気持ちも、自分の心でさえ。
 さっきはあれほどすぐに見つけた背中がなかなか見当たらなくて、いつもは二宮が歩幅を合わせてくれてたことも今知った。

 ――追いかけなくちゃ。言わなくちゃ。嬉しかったって伝えなきゃ。

 皆のことが大好きだと思う。それは嘘じゃない。だけど私がこの手で喜ばせたいのは一人だけだ。心に触れたいと思うのもひとりだけ。

「二宮!」

 返事も聞かず去ってしまうくらいだ、きっと二宮は死ぬまで黙っているつもりだったのだろう。でもいくら私が鈍感なのを差し引いたとしても、欠片も気付かせなかったくらいの強い気持ちにもう触れてしまった。その温度を知ってしまっては戻れない。
 大丈夫、追いつける。ちゃんと言える。あの二宮に好きだと言われただけで途端に自分がなんでも出来る人間になったように思えてくる。まるでリボンをかけてもらったみたいに。
 つま先の向く方に明日が広がっている。

20221114 / あした晴れるかな