放課後を告げるチャイムをバックに片付けをしていると、不破くんから声を掛けられた。おめでとーさん、の声とともに机の上にいちごミルクの紙パックが置かれる。

「あ、ありがとう?」
「いーえ」

 あれだけ騒いでたらイヤでも気付くって。
 そう不破くんは続けて教室の後ろを顎で指す。昼休み、友達によるサプライズとしてわたしのロッカーの中にお菓子のタワーが出来ている様子と、それに驚かされる動画を撮られていたのが記憶に新しい。
 今日はわたしの誕生日なのだ。

「部活休みだし、一緒に帰んだろ? デート? 羨ましいね」

 不破くんの言うデート。そのお相手はもちろん先日恋人同士となった二階堂のことだろう。
 不破くんはその二階堂と同じ部活に所属している。わたしが二階堂に片想いしていた時からいろいろ相談に乗ってくれている優しい人だ。二階堂に言わせれば面白がってるようにしか見えないらしいけれど。

「どうだろう。二階堂はわたしの誕生日知らないと思うよ」
「はあ?」

 余程驚いたのか、不破くんはその切れ長の目が見開かれた。

「知らないって、何で」
「そういう話になったことないし」
「でも付き合ってんだろ」

 付き合ってるって言ってもなあ。そう返すわたしの表情が苦笑いになる。

「二階堂に付き合ってもらってるというか、巻き込んでいるというか」

 元々、隣にいることを許してくれただけで奇跡のようなものだ。誕生日まで祝って欲しいなんて願わない。
 二階堂とわたしの付き合いには明確なカースト制度、上下関係が存在する。
 好きになったのもわたしで告白もわたしから。おまけに一度振られている。ついに二階堂が根負けする形で付き合うこととなったのを、不破くんが知らないはずもないのに。

「それを二階堂に言われたわけじゃないんだろ」
「言われなくても察するよ」

 う〜ん。不破くんがなにか言いたげに唸りながら後頭部を掻く。

「お前らってつくづく似た者同士だよ」

 似た者同士。一体どこが。どういう意味かと尋ねようとした時、教室の扉が開く。そこに立っていたのは二階堂だった。二階堂はその目にわたしと不破を捉えると不機嫌そうに眉を顰める。

「つぐみ」

 隣のクラスだというのに我が物顔で教室へ足を踏み入れた二階堂はわたしの机のそばに立つと、不破くんを睨みつけた。

「王子様自らお迎えなんて泣かせるねえ」
「うるさい。帰るぞ」
「不破くん、ごめん! またね」

 不破くんを一蹴した二階堂は早々に踵を返して教室を後にしようとする。その背中に置いていかれないよう、急いで荷物を詰め込んで追いかけた。
 
 ◇
 
 玄関を出ると二階堂はパーカーのフードを被る。光過敏症という体質のせいだから仕方ないとはいえ、その表情が影に隠れて見えなくなるのを残念に思った。
 もうすぐテストだとか、次のバイトのシフトのこととか、とりとめもない会話を続けながら家までの道を歩いていく。二階堂は一見愛想良く見えて、ひとたび取り繕う必要が無いと判断すればぶっきらぼうだ。この帰り道でわたしが得た情報は少なくともしばらく二階堂の週末は忙しいという事実ひとつのみ。

「おい」

 仕方ない。二階堂のいない週末はもはや当たり前だし、弓道を邪魔する気なんてハナからない。惚れた弱みを痛感させられながら歩いていると、ふと二階堂が歩みを止めた。カバンの中を漁ったかと思うと紙袋を差し出す。

「コレ」

 思いがけず、えっと声が出た。
 二階堂の顔とその手に握られている紙袋を交互に視線を注ぐ。

「誕生日だろ」
「な、なんで……」
「なんでって前にお前が……、いや何でもない」

 自分で? 言ったっけ?
 少なくとも付き合い始めてからは言った覚えがない。となると、こうなるより前の会話のどこかで口にしたのだろうか。まさか、それを覚えていてくれた? わたしでも忘れるほどのことを? 二階堂が?

「開けていい?」
「無理。ってコラ開けんな」

 さほど本気で止められなかったということはいいということなのだろう。道の脇に寄って紙袋の中から箱を取り出し、できるだけ丁寧に包装紙を解く。
 顔を覗かせた箱に、はっと息を呑んだ。
 中に入っていたのはネックレスだった。トップの飾りが控えめに自身を主張し、細いシルバーのチェーンは少し手を傾けただけでちかちかと瞬いている。まさに贈り物然とした、女性らしいデザインのものだ。

「…………恋人みたい……」

 胸が震える。一体どんな気持ちでこれを買いに行ったんだろう。どんな声でこれを選んで、どんな表情で放課後、今の今まで鞄に入れていたんだろう……。
 口を開けばそのまま泣いてしまいそうだと思った。二階堂を好きになって、わたしの涙腺はすっかりと弱ってしまった。お礼を言わなくちゃいけないのに上手く言葉が出てこない。場所が許されるのであれば、二階堂に大好きだと言ってその腕の中に飛び込んでしまいたかった。
 手早く箱を片して、紙袋ごとそっと額に当てるよう抱きしめる。
 ネックレスだから嬉しいんじゃない。それが以前から夢物語のように欲しいと思っていたものだったから嬉しいんじゃない。二階堂がこれを選んでくれたのが嬉しかった。
 些細な会話の中のひとつとして零した誕生日を覚えてくれていたことや、部活と両立させているアルバイトで得たお金を少しでもわたしに使ってもいいと思ってくれたこと、それから忙しい時間の中で買いに行ってくれたこと、二階堂の中にわたしがいるという事実の全部がたまらなく嬉しかった。
 いろんな気持ちをなんとか飲み込んでありがとうを告げると二階堂はフードを深く被り直して「おー」と小さく零す。

「……お前さ、俺の事なんだと思ってんの」
「何だとって……、二階堂は…………二階堂だけど」
「はあ?」
「じゃないなら、弓道大好き人間とか? あと意外と優しいとか、それから」

 二階堂の好きなところなんて考えなくたっていくらでも言えた。指を折りながら続けようとすると、よく手入れされた爪の並ぶ手で制される。

「違うだろ、もっと……」
「もっと?」

 二階堂はわたしに何と言ってほしいんだろう。真意をはかるべくその水色の瞳を覗き込む。しばらく見つめていると負けたと言わんばかりに視線は逸らされてしまった。

「……もういい、聞いて損した。来年の俺の誕生日は百倍にして返せよ」
「ひゃ、百倍!?」
「死ぬ気でバイトしろ暇人」

 二階堂が気に入りそうなもの、それでいてもらったネックレスの値段かける百……はお小遣いじゃ到底賄えそうもない。おまけに、部活にバイトにと忙しい二階堂と比べれば暇人なのは事実なので弁明のしようもなかった。
 からかうように笑われて、歩き出そうとするその腕をつい掴む。

「二階堂のとこ、今求人してる!?」
「不採用でーす」
「ひどい!」

 わたしと違って二階堂はあんまり気持ちを口にすることがない。それに加えてフードを被っているとその表情がうまく見えない。
 だから、二階堂の気持ちを察知することは難しかった。
 どうして誕生日を覚えてくれていたのかとか、どうしていつもわたしのクラスまで迎えに来てくれるのかとかわざわざ二階堂が来年と口にした理由を考えてはひとりで一喜一憂するのがどれほど無駄なことなのかは、片思い中に嫌という程教えられた。わたしが二階堂を好きで、そう思うことを許されている、それだけいいと思っていた。だけど。
 腕を掴むその手が驚くほど優しく解かれて、二階堂のそれと繋がれる。
 結局、また明日というまでその手が離れることはなかった。小学生が隣を駆け抜けても自転車に乗るおじさんから冷やかしのベルを鳴らされても、二階堂はわたしの手を離そうとしなかった。

20230307 / レプリカのほころび