1.出水公平
退屈な午後だった。
おじいちゃん先生による四限目の現国はいつも欠伸を噛み殺すのに必死で、登場人物の心まで考えていられない。母親の作った弁当にはきっとエビフライが入ってて、衣がへたるからソースはかけるなって頼んでるけどきっと今日もかけてあるだろう。五限目の体育はバレーの試合のはずだけど途中で早退して本部に向かい、防衛任務につく。なんてことない火曜日。
のはずだった。
――……緊急警報 緊急警報。門発生。門が市街地に発生されました。市民の皆様は直ちに避難してください。繰り返します。門発生、門発生…………
突如鳴り響いた校内放送が耳を貫く。すぐに視線を窓の外に移すと、ブラックホールを思わせるほど黒々とした門が開き、見慣れた近界民が顔を覗かせた。
――……緊急招集です。非番の正隊員は指示に従い戦闘体勢をとってください。A級隊員は……
「弾バカがいるからこの辺で門開いてんじゃねーの」
「うるせえな」
ナナメ後ろの席に座っていた槍バカは既にトリガーを手にしていた。おれもポケットの中からそれを取り出す。しかし、この非難する生徒でごった返す廊下のどこから外に出たもんか。考え始めたところで、ふいに廊下側の窓が勢いよく開いた。しかめっ面をした三輪だった。
「洋介! 出水!何もたもたしてる、行くぞ」
「ヘーヘー」
「つっても廊下から出んのは無理じゃね?窓から外出るか」
「……仕方ないな」
三輪は少し考えたようだったが、窓のサッシに足をかけ、飛び越えるように教室内へと足を踏み入れた。普段ならあまり見せない姿に思わずひゅう、と口笛を吹く。
「冷やかすな。行くぞ」
「オッケー」
三輪、続いて槍バカが、教室の窓から外に向かって飛び降りる。続いておれも上履きのままジャンプした。トリガーを手にし、呟く。
「トリガー、起動」
門が開くことも、緊急招集も、なんら珍しい事じゃない。なんてことない午後だ。
「近くにラービットがいるみたいだね」
「どうします? 倒しましょうか」
「いや……出水、近くに篠村いんだろ、それと合流しとけ。 国近」
太刀川さんの指示に従って、柚子さんがはいはーい、と軽い様子で周辺の地図をおれに送り込む。
砂埃がひどい。高さのある建物に登りでもしなければ殆ど何も見えない状況なのに役立ちそうなものは全て倒壊していた。保育園だったろう場所も、遊具が散乱している。
このところ、警戒区域を無視して、イレギュラー門の開く頻度が高い。近々大きな襲撃があってもおかしくない事は予想できた。
辺りに逃げ遅れた人がいない事を確認しつつ、目印のついた場所にいる篠村さんを目指す。
――しっかし、こんなトコで篠村さんは何してんだか。
救助でもしているのだろうか。柚宇さんから送られた地図についている篠村さんのマーキングはぴくりともしない。妙な胸騒ぎがした。
(まさかな……)
悪い予感であってほしい。移動速度を上げる。
篠村さんはおれと同じ射手だ。B級にいるが、どこの隊にも属していない、所謂野良隊員というやつで、割とクセのない戦い方をするため混合部隊のシフトだと大抵メンバーに入っている。
「篠村さ~ん? いるなら返事してくださいよ」
篠村さんのマークがついた所に立ち止まり、辺りを見渡した。声をかけるも周りには瓦礫しかなく、しんと静まり返っている。
ふと、小さくだが犬の鳴き声が聞こえた。……ような気がした。思わず声のする方向に向かうと、雑種だろうか。耳の立った犬が興奮した様子で倒壊した瓦礫に向かって尻尾を立てながら吠えている。
「おい、逃げ遅れてんじゃねえよ」
マップ上、近くに近界民の反応はない。ラービットは既に場所を移したようだっだった。早く篠村さんと合流して倒さないと。暴れ回る犬を抱える。
「んな吠えんなって、お前に構ってる暇はねえんだよ……」
それに、一人でこの犬を相手にするのも面倒…………いや、骨が折れそうだ。
「篠村さん? いい加減返事してくださいよー、おーい……」
……何故そこを覗こうとしたのだろう。迷い犬がやたら吠えるからか、それとも何か勘が働いたのか。適当に辺りの瓦礫の下を覗き込んだその瞬間、おれは即、柚宇さんに通信を繋げた。
「はいはい、どしたー」
「………二宮さんに通信繋いで、今すぐここの場所送って。太刀川さん。出水、救助に入ります。篠村さんが倒れてる」
篠村さん――篠村つぐみさん、と初めてきちんと話したのは、二宮さんに頼まれて合成弾をつくる方法を教えてたくらいだとおもう。
その頃おれはたまたま二宮隊の隊室で、辻に勉強を教えてもらっていた。その片付けの際、どうやらテーブルに置かれていた二宮さんの大学の参考書がおれの鞄に紛れ込んだことがある。槍バカから借りた漫画はクラスのロッカーに三ヶ月間放置することなんてざらにあるけど、二宮さんのはそうはいかない。
返したいんですけど、と連絡をしたら、てっきり本部で待ち合わせするかと思ったのに二宮さんからは「金曜16時なら家にいる」という文章と、今年ひとり暮らしを始めたばかりだという二宮さん家の住所が送られてきたのだった。
二宮さんの部屋があるアパートは、グレーがかったコンクリート調の建物で、見た目からしておしゃれというか、高そうな雰囲気を醸し出していた。
――ひとり暮らしって、家賃はどんなもんなんだろ。
新しく建てられたようなアパートの廊下を歩き、角部屋のインターホンを押しながら、そんな事を考えていた。
「はーい」
……確かに、二宮さんの部屋のインターホンを押したはずだ。ころんと鈴のような声がマイクを通じて返ってきて、思わず表札を確認する。名前は掲げられていないものの、聞いていた部屋番号と間違いない。
「あの……ここ、二宮さんちっすよね…………」
「……あっ、出水くん!」
インターホンの主はそう声をあげるとガチャンと急いだ様子でマイクを切った。部屋の中から、トタトタとした足音が聞こえる。そうして、急いだ様子で扉を開いたのが、篠村さんだったのだ。
「出水くんごめんね、 二宮急にゼミの先生に呼ばれちゃったの」
……どうして篠村さんが。混乱したのをよく覚えている。
「もうすぐ帰ってくると思うし、どうぞ」
困惑するおれをよそに、篠村さんは手慣れた様子で客用のスリッパを差し出した。どこか奇妙な、落ち着かない気持ちでそこに足を差し入れ、家に上がり込む。確かに、部屋に置かれた数々は二宮さんの趣味っぽい。とりあえずここは二宮さんの家で間違いないようだった。
「教科書返しに来たんでしょ? なんかごめんね」
篠村さんは膝丈のスカートを翻しながら、おれに話しかける。
「いやおれのせいなんで。 二宮さんの教科書 めちゃめちゃキレイだし早く返さないとって焦りました」
「わかる!二宮の持ち物って総じていつまでも新品みたいだよね。家でもそうなんだよ」
まあここはわたしの家じゃないんだけど、と続けた篠村さんは、グレーのソファにどうぞ、とおれを促し、台所へと消える。冷蔵庫の開く音がして、ジンジャエールとコーヒーとお茶ならあるけど、出水くんどれがすき?、なんて当然のように言うから、たまらず聞いてしまった。
「あの……篠村さんと二宮さんて付き合ってるんすか?」
台所に聞こえるように張った声はふたりで話すには少し大きすぎたかもしれない。
「え、もしかして知らな……」と、篠村さんが言葉を発しかけた時、ガチャリと鍵の開く音がした。
「あ、二宮帰ってきたかな」
呟いて、篠村さんは台所から玄関に向かって「おかえり!」とひょっこり顔を出す。ああ、と呟く二宮さんの声がした。それは、あまりにも当たり前の響きだった。
「……お邪魔してま~す……………」
そう頭を下げたおれに、二宮さんは「遅れてすまん」と一言詫びて、それから「つぐみ」と篠村さんを呼んだ。………………名前で呼んでんじゃん! まじで付き合ってんじゃん! つか同棲してんのか!?
なんだかおれが照れてしまいそうだったから、しばらくソファの端をみつめていた。
このふたりが、互いを選んだというのは意外だった。
篠村さんはずっと野良だったわけではなく、ついこの間まで普通に隊に所属して、ランク戦にも参加していた。ただ、他の隊員が受験やらなんやらでボーダーを抜けてしまい篠村さんだけが、そのままB級隊員として残った。けれど、その実力はお世辞にも強いとは言えなかった。
ランク戦の解説や、射手のみで行われる情報交換会なんかでは、よく二宮さんが篠村さんの戦い方について、こっちが身構えるくらい散々な言い方をするのを聞いていた。篠村さんは、サイドエフェクトもあってトリオン量も豊富だけど、その使い方がめっぽう下手なのだ。
戦いに向いてない。 二宮さんは篠村さんによく、そう言っていた。
何か生まれるようには見えなかったから、ここにふたりがふたりだけの距離感で並んでるのは、変な心地がする。
「茶くらい出してやれよ」
「今出そうとしてたの! ていうか二宮付き合ってるの言ってなかったの? 驚かせちゃったじゃん」
「お前が言ったらいいだろ」
「弟子がこんなに生意気だと出水くんも大変だね」
「えっ? いやそこまで大変じゃないっすよ、二宮さんむちゃくちゃ筋がいいっす流石っす」
「つぐみも弟子入りすべきだ。この間の模擬戦は酷かった。あれじゃサイドエフェクトも宝の持ち腐れだ。なあ出水」
「二宮が代わりに指導料払ってくれるならね〜」
「いや金取らないっすよ流石に」
こうやってふたり、話してるところをみると確かに篠村さんが二宮さんに向ける口調はちょっと柔らかくて、二宮さんが篠村さんをみる視線はすこしやさしい気がする。思い返してみれば、二宮さんが篠村さんにキツく言うのは戦術に関してだけだった。もしかすると、キツく言うのも期待の裏返しというか、愛情表現みたいなものなのかもしれない。
……むちゃくちゃわかりにくいけど。おそらくジンジャエールが注がれているであろうトクトクという音をバックに、 ふたりのやりとりを聞きながら、ほんとに付き合ってんだなあ、と妙に納得してソファに深く背を預けた。
……だから。
「篠村さんっ、じょーだんキツイっす、よっ………」
覆いかぶさった大量の瓦礫をなんとか退けていく。ゲートが開いて30分。篠村さんがこの下敷きになってからはどのくらい経過しているのだろう。やっとその姿が見えた。けど。
助からない。
救護訓練はくさるほど受けている。やり方だって覚えているつもりだ。
篠村さんは見た限り、出血量が多い。頭も打っているようで、医療の知識がないおれでも、相当やばい状況にあることくらいはわかった。
……可能性にかけるしかない。
頭を動かさないようにして、脈と呼吸音を確認する。どちらもかなり弱まっていた。はやく、早く二宮さんか、誰か来てくれよ。自分の鼓動が早まるのがわかる。
「踏ん張ってくれよ……!」
そういえば篠村さんの家はこの辺だと聞いた事があった。授業がなかったのか何なのか詳しいことはわからないけど、家にいた篠村さんは、イレギュラー門の出現にすぐさま外に飛び出し、そこで、ラービットと遭遇したのだろう。ラービットはA級隊員でも倒すのに時間を要する。 生身のままということは緊急脱出が間に合わなかったか、それか近くに保育園もあったから、換装体になる間もなくラービットの盾になったかだろうと予測できる。
「こんなんで死ぬなって……!」
「…………いずみ…………くん......?」
ふと止血しようとした矢先、篠村さんの指先がぴくりと動いた。
「しくじっちゃ……、まにあわなくて」
「喋んなくていーから! もうすぐ二宮さんくるから踏ん張ってくださいよ」
「二宮が......?」
にのみやさん。その名前を聞いて、篠村さんはふ、と弱々しく笑った。ように見えた。
「出水くん、おこらないでね…………」
「はっ?」
そしてその瞬間、篠村さんは自分のトリガーを起動させる。
「いやちょっ……何してんすか!」
しまった、と思った。
篠村さんはブラックトリガーを作り出そうとしている。
ブラックトリガーになるのは優れたトリオン能力を持った者だけだ。特に、サイドエフェクト持ちはそれを生成できる可能性が高い。篠村さんは、戦闘にはあまり活かされなかったそれを今、ここで、利用しようとしている。自分がブラックトリガーになるために。
「待っ………」
止めなければ。そんなことをさせてはいけない。医療班を待っていれば、もしかしたら助かるかもしれないのに。
換装体でなければ視界がやられていただろう篠村さんの体から放出されるまばゆい光を防ごうと、手を伸ばしたその時。
「遅くなった悪い」
にのみやさん、おれはそう言いながら殆ど泣きそうだった。
「つぐみ」
二宮さんはすぐに篠村さんに駆け寄って、その横たわった体を抱える。
にのみや。 途切れがちに、篠村さんの声がした。やわらかいこえだった。
近く見てきます、というおれの声はふたりに聞こえたのかはわからない。でも、ふたりきりにしなきゃならないと思った。
「くそっ…クソ!…………」
その場を後にしながら、どうして、とそればかり考えていた。どうしてもっと早くあの場に辿り着かなかった。どうして止められなかった。どうして篠村さんなんだ。どうして。なんで。
そうして自分のトリオンの消費量も考えないまま近くに発生した小型近海民を穴だらけにしていたら、「出水」と肩に手が添えられた。二宮さんだった。ただ、そこに篠村さんの姿はない。
「二宮さん······ 篠村さんは」
「これだ」
二宮さんは表情を変えないまま 黒い腕輪のような形状をしたそれを差し出す。ブラックトリガーだ。力が抜けていく感覚がした。思わず俯いて、片手で顔を覆った。
「嘘でしょ、冗談きついっす…」
「冗談じゃない。悪かったな」
「......なんで二宮さんが謝るんすか」
「積極的に見たいものじゃないだろ。だが出水、呼んでくれてありがとう」
「は、なんすかそれ……、お礼なんて……そんな、おれは………」
冗談であれば、どれだけよかっただろう。
目前に広がる瓦礫も、自分たちが戦っていることも、なんてことないいつもの火曜日なのに、篠村さんがブラックトリガーになったことだけがいつもと違って重くのしかかる。二宮さんは、取り乱す様子もなくいつもと変わらない表情を浮かべていた。