2.加古望

「…………以上がブラックトリガーが創られた経緯です」

 恋人が死んだというのに、随分淡々と話すものだ。普段からいけすかないけれど、その態度はこんな時にも変わらないなんて。いっそ尊敬すら覚えてしまう。

「――ブラックトリガーの起動テストは来週から行う。日程は各部隊の任務予定と調整をし、隊長に連絡するので各自隊員に知らせるように、以上」

 二宮くん以上に表情筋を動かさずに城戸司令がそう言って、緊急会議は終わりを迎えた。
 席を立ちながら、骨壺というにはあまりにも無機質なガラスケースに視線をやる。そこにしんとした様子で厳重に保管されているのはつい三日前まで友人だったものだった。
 各隊長が、言葉少なに会議室を後にし始めていた。その足取りは重い。イレギュラー門が開き始めた事により近々起こり得るだろう近界民の襲撃の説明も、ブラックトリガーの起動テストもその正体も自らの口で隊員に説明しなければならないのだ。

「太刀川くん」

 余程私の作る炒飯が口に合わないのか、何時もなら言葉を発する前になにかと理由をつけて逃げようとする彼は今日は素直にその場に立ち止まって、素直に振り返る。

「今夜、予定は埋まっている? ご飯でもと思って」
「ああ、いいぜ。空いてる」
「だったら堤くんと来馬くんにも声を掛けるわ。駅前の居酒屋はどう? あそこなら個室もあるし」
「おう。んじゃ用意したら向かうな」

 用だけのやりとりを終え、互いに右手を上げて別れる。きっと私たち、誰かに何かを、吐き出さなければやってられなかった。

 つぐみと出会ったのは、高校の卒業を目前とした頃だった。
 私たちが東隊として活動していたその時、つぐみはまだ入隊したてで、C級隊員の白い隊服を着ていた。学校が違うが故に面識すらなかったのだけれど、つぐみはサイドエフェクトと射手になるには充分なトリオン量を持ち、更にはそれを持て余しているようだったから、入隊直後にも関わらず東さんが直々に目を掛けて世話をしていたのだ。
 同じ歳で、同じポジションで、東さんに指導されているとなれば、どんな子なのか気になるのも当然だろう。そしてやっぱり、同じ歳で同じポジションの私達は仲良くなるのも早かった。つぐみが人懐っこい子だったというのも大きいけれど。
 だから、時折隊室で顔を合わせていただけの二宮くんの事を好きかもしれないと私に打ち明けたつぐみには驚いた。「……顔?」と、暫く間を開けて尋ねた私に、つぐみは違うよ!と頬を染めて反論する。

「二宮君、優しいんだよ」
「つぐみ、あなた騙されているわ」
「ま、待って聞いてよ〜! この間の雨の日ね、たまったま一緒に帰ったんだけど」
「傘に入れてもらったりしたなんて言わないわよね」
「なんでわかるの?」
「…………で、ふたりでどんな会話をしたっていうの?」
「なんか、沢山アドバイスくれたんだよね、こうしたほうがもっと強くなれるとか」
「つまらない男ね」
「でもなんか、わたしと二宮君ってそんなに話したことないのにそうやって見てくれてるの、なんか意外で…………」

 サイドエフェクトの活かし方も一緒に考えてくれたんだよ。と、嬉しそうにつぐみは言う。
 口にはしないけれど、つぐみは戦うのがあまり好きではないようだった。自分の意志ではないところで、やれトリオン量が豊富だのやれサイドエフェクトがあるだのでボーダーに半ばスカウトのような形で所属したこともあって、所在なさげにみえる時もあった。だからそんなつぐみに才能(と、焼肉)にしか興味を示さないつまらない男である二宮くんがアドバイスを送ったというのは確かに意外だった。憧れのような恋に、つぐみがいつか傷つけられることもあるんじゃないかと心配していたら、しばらくたって今度は付き合うことになったと聞いて更に驚く。

 その内、二宮くんが二宮に、瀬田がつぐみに呼び方が変わる頃には私達も同じ大学に入学し、学内・学外を含め時間を共にする事が多くなった。
 つぐみが語る二宮くんは、私の知らない人のようだった。記念日に贈り物をしたり、つぐみの趣味であるかわいらしいカフェに行ったり、始めたばかりの一人暮らしの部屋の鍵を渡したりして、二宮くんなりにつぐみを大事にしているようで、そのひとつひとつをつぐみから聞いて、二宮くんに確かめるのは面白い遊びだった。

そんな日がずっと続くと思っていた。








 駅前の居酒屋はイレギュラー門の出現なんて幻のように、学生たちによって騒がしさが保たれていた。全個室の居酒屋最後の空きである席に案内され、おしぼりを受け取る。太刀川くんは、素早くラミネートされたA4サイズのドリンクメニューを既に手にして言った。

「来馬は何にする」
「ぼくは烏龍茶にしようかな」
「オレはハイボール」
「皆決まっているならもう頼んでしまいましょうか。 もう注文してもいいかしら」

 私の問いかけに、次々とおしぼりを手渡していた店員さんがはいどうぞ、とニコニコしたままハンディメニューをズボンのポケットから取り出す。

「烏龍茶とハイボールがひとつずつ、太刀川くんは生? じゃあ生をふたつ」
「加古が生って珍しいな」
「何かつまみも頼んだほうがいいんじゃないか」
「何がいい? なんでもいいわ」
「じゃあとりあえずたこわさときゅうり。後はまた適当に頼もう」
「そうね。以上でお願いできる?」

 店員の女の子は、私達が話しながら注文を決めていくのに嫌な顔ひとつせず、頼んだドリンクと料理名を繰り返し、ひとつ礼をして厨房へと去っていった。
 いつもなら、ここにジンジャエールと、甘いジュースのようなカクテルが並ぶのに。それがない事にどうしたって違和感を覚えるその正体は寂しさだ。

「………とりあえず、乾杯」

 ドンとテーブルに置かれたグラスを手にし、太刀川くんが口火を切る。喉を潤すビールはこれでもかというくらい冷えきってきて、混み上がる悲しみを抑えてくれた。

「…………………聞いたよ、諏訪さんに。起動テストをするんだって?」

話し始めたのは堤くんだった。
「話がはやいな」と太刀川くんが相槌を打つ。あの子がブラックトリガーになったのは既にボーダー中で噂となっている。あとはそれを事実にするだけなのに、どうしたって気が重い。

「早目に話したほうがいいだろうって諏訪さんがな。本当に 篠村ちゃんだったんだな………」
「ああ。テスト、うちはもう明後日にやるだろうって思ってる、今週末防衛任務のシフトじゃな
いし」
「早いね……………うちはもう少し後だから助かるよ。どう言えばいいのか.....」
「村上か」
「うん。鋼もサイドエフェクトがあるからね……。どう言うか迷ってる」
「サイドエフェクトっつったって鋼と 篠村のは種類が違うだろ」
「そうなんだけどね。サイドエフェクト持ちはブラックトリガーになる可能性が高いだろ。万が一の時は、この手があるって思ってしまうのは……、それに太一もショックを受けるだろうし」
「高一だしな……、加古ちゃんとこもだろう」
「そうね。双葉はまだ中学生だし·····塵になるなんて言えないわ」

 冷えきっていたジョッキは汗をかき、話している内に常温に戻ろうとしていた。その水滴がテーブルに溜まって、小さな鏡のように私の表情を映す。

「出水もなあ……見てんだよな、 篠村のこと。あの日」
「そうだったの」
「たまたま 篠村のそばにいたんだよ。俺が合流しろっつって……あいつが二宮を呼んだんだ。やっぱショック受けてた。悪い事したよ。忍田さんがカウンセリング受けさせろって言うから聞いたけどいいって」
「大丈夫なのかな」
「あいつは自分でちゃんと出来る奴だから心配はしてねえけど、起動テストはな〜。間が空いてないからな、どうだろうな。つーか俺としては……」

 太刀川くんがガシガシと頭を掻いて、語尾を濁すから、代わりに私が「二宮くん?」と促した。

「どうだった、様子は」

 堤くんが尋ねて、太刀川くんが、ビールを飲みながら答える。

「……眉ひとつ動かしてなかった」
「淡々としてたよ、驚くくらいに」

 来馬くんもそう付け加えた。やはり、皆にもあれはよほど変わって見えていたらしい。

「ほんと、ひとつも可愛げの無い男よね」

 どうせくだらない事を考えてるに違いないわ。そう口からついて出た。

「不器用な癖に、ああやって平気そうにするから腹が立つのよ」

 汗をかいたジョッキの淵をなぞる。
 鳩原ちゃんの時だってそうだ。彼女が隊を抜けた時も、それが原因で降格になった時も、二宮くんは眉ひとつ動かさなかった。本当は人一倍悔しがりで負けず嫌いのくせに。それをおくびにも出そうとしない。
 確かに私達は友人でもなんでもないけれど、悲しみや不安を共有することくらいはできるのに。当たり前のようにひとりで抱え込んで、そしてそんな自分に気付いてないような人間だった。

「…………二宮、きっと起動できるよな」

しんとした空気を割るように呟いたのは堤くんだった。

「どちらにせよ……胸が痛むね」
「そうね」

 これから、 つぐみだったものを起動するのだと思うと気が重い。 それを使うとなるとなおさらだ。私でそうなのだから二宮くんなんて、もっとそうに違いない。 迅くんはよく正気を保っていられるものだ、と改めて思う。最も、彼がはじめから今のように穏やかだったかと聞かれれば、イエスとは答えにくいけれど。
 なのに私は、 つぐみのブラックトリガーは二宮くんに使ってほしいと思っている。

「そりゃできるだろうよ」

 グビ、と太刀川くんがビールを飲み干した。音を立ててテーブルに置かれたジョッキの中で少量の泡が垂れる。傍を通った店員に堤くんが生ひとつ、と追加して、頬を少し染めた太刀川くんが焼き鳥の串をいくつか頼む。

「どうしてそう言えるの?」
「どうしてって……そりゃあ〜、愛だからだよ。うん、そうだ愛だ」
「………酔ってるわね」
「酔ってるね……」
「まあ、飲みたくなる気もわかるよ。起動できたとして、二宮が使えるかな」
「どうだろう、二宮くんは隊長だし……。ただでさえあそこは鳩原さんが抜けているし……………」
「いーや、あいつは使うね。だって 篠村は使ってもらうためにブラックトリガーになったんだろ。だったら使ってやるしかねえよ。どのみちブラックトリガーを置き物になんてするわけがない。 誰かが使うんだったら、そりゃ二宮だ」

 言いながら、太刀川くんは乱暴に焼き鳥を食べてみせた。 「乱暴だなあ」と呆れたように堤くんが呟いて、「 篠村も馬鹿だよな……」と付け加える。










「馬鹿よね……」

 頬杖をついて呟いた声は、喧騒にまみれて誰にも届かない。
ブラックトリガーは本人の性質と作り出された時の状況や想いが強く反映されるという。だったら、二宮くんが起動出来ないなんて考えられない。

「……そろそろ出ましょうか。 太刀川くん、顔が赤いわ」
「んな飲んでねえのにな〜」
「タクシー呼ぼうか?」
「いいよ来馬。オレが送ってくよ」
「まじ? 優しいじゃん堤〜」
「歩きだぞ」
「冷たいな堤〜」

 二宮くんに贈られたのだというネックレスをつけていたつぐみを思い出す。よく似合っていた。
 癪だけど。
 結局、私たち四人とも、つぐみのそばにいるのは二宮くんしか考えられないのだ。
 テーブル縁に置かれた伝票を手に取る。四人分の会計はいつもより少なくて、それが寂しさを加速させた。