4.犬飼澄晴

 二宮隊の起動テストはおれで最後のはずだった。
 つぐみさんがブラックトリガーになって二週間、とうとう二宮隊にも順番が回ってきたのだ。二宮さん、辻ちゃん、そして学校の授業の関係でちょっと遅れたおれがそれぞれ訓練室に呼び出される。周りと完全に遮断されたそこはやたら静かで、密かに(やりにくいなあ……)と思った。
 ブラックトリガーを装着して下さい。やたら無機質なアナウンスが流れると同時に、地面のパネルがひとつスライドして開き、そこからガラスケースがせりあがる。 ゆっくりと近づくと、自動ドアのようにそのケースが開いた。腕輪の形をしたそれを装着する。 風刃の時もそうだけど、仰々しすぎる。生前のつぐみさんとブラックトリガーは似ても似つかなくて、あんまり長時間触ってたらそれこそうっかり余計なことばかり考えて悲しくなりそうだったから、考えを振り払うようにトリガー起動、と呟いた。



「……あれ、二宮さんは?」

 隊室に戻ると、オレより先にテストを済ませていたはずの二宮さんの姿はそこになく、辻ちゃんとひゃみちゃんが緊張した面持ちで座っていた。

「え…………… 犬飼先輩、すれ違わなかったですか?」

氷見ちゃんがガタ、と音を立てて椅子から立ち上がったのと同時に、ポケットに入れていた携帯がなった。ごめんと謝りながらディズプレイを確認すると、東さんの文字が表示されている。

「はい、犬飼です」
「おう。すまん突然」
「いやいいですよ、どうしたんですか」
「いやな、二宮隊今日ブラックトリガーの起動テストの後に夜勤だろ。それ代わろうと思って」
「え」
「起動テスト俺も携わらせてもらってるんだよ。それで二宮のテスト見てたんだが……顔色が悪かったから帰らせたよ。本人は平気だとか換装体だからとか言って聞かなかったけど、無理矢理な」
「え……、二宮さん大丈夫なんですか」

おれがそう言ったことで、ひゃみちゃんと辻ちゃんが心配そうに顔を見合わせたのがわかった。口に出したのは失敗だったかもしれない。

「ああ、多分な。それで二宮の代わりにじゃなくて、二宮隊ごと休ませようって。シフトの代わりはこっちで引き受けるから、お前らは休め。多分また二宮から話があるだろうから」
「……二宮さん、起動できたんですか?」

 電話の向こうで、東さんがたっぷりと間をとる。

「............また話があるだろうよ。とにかく、今日はおつかれさん」

切れてしまった電話を耳からゆっくりと離すと、辻ちゃんが「犬飼先輩、二宮さんはなんて」
と間髪入れずに尋ねてくる。「とりあえず……」と鞄を手にして、笑顔をつくった。

「焼肉行こっか! 3人で」





 選んだのは、二宮さんに連れて行ってもらうちょっと美味しい焼肉屋さんじゃなくて、クラスのみんなで打ち上げやらなんやらで使うほうの焼肉屋だった。低価格で食べ放題だから、気兼ねなく注文できるのがよかった。

「何にする? 烏龍茶?」
「あの……犬飼先輩」

 ドリンクメニューを差し出したおれに、辻ちゃんが言った。

「二宮さん……起動できたんですか、ブラックトリガー」

 隣に座っているひゃみちゃんも真剣な眼差しでおれを見つめる。気になって仕方がないようだった。

「……………詳細は聞いてないけど、多分、」

 言いかけた所で、バイトだろう若い見た目の店員さんがやってきて、おしぼりと水の入ったグラスをそれぞれの前に置く。

「…………とりあえず注文しよっか」

 遮られた話は、あとでゆっくりすれば良い。そのためにここに来たんだし。と仕方なく笑ったら、ひゃみちゃんが「烏龍茶三人前、あとシーザーサラダひとつとサンチュ三人前」と店員さんに伝えた。

「塩タン四人前とミノ三人前。あとハラミとカルビも三人前ずつ」
「あ、クッパもお願いします」

 急にハキハキと注文しだしたふたりに呆気に取られて、おれは「犬飼先輩、いいですか?」というのに「キムチの盛り合わせも…」と答えるので精一杯だった。かしこまりました とハンディメニューを閉じて去ってゆく店員さんの背中を見つめて、

「めっちゃ食べるね…………」

 と向かいに座ったふたりに呟く。

「食べなきゃやってられないです!」
 そう言って、水を口にした後グラスを机にタン、と音を立てたのは、ひゃみちゃんだった。

「私、本当の本当の本当は、つぐみさんがブラックトリガーになったの、まだ受け入れられてないです。……だって、葬儀もしてもらえないなんて、そんな酷すぎるじゃないですか……」

 声が震えている。と気がついた時には既にひゃみちゃんは、背筋をしゃんとしたままおしぼりでなく自分の制服のポケットからハンカチを取り出して目元を抑えていた。
 ひゃみちゃんの言う通り、つぐみさんの葬儀は行われなかった。ブラックトリガーになった後身体は死ぬのではなく、塵になる。ご両親の同意があったのかそれとも受け入れられていないのか、その塵はボーダーの未来のため研究されることが決まったそうだ。二宮さんには聞いてほしくない話だなとおもった。けど、ひゃみちゃんが知っているのなら既に知った話なんだろう。

「二宮さん、大丈夫ですかね......」

 辻ちゃんが口を開く。「どうだろうね」と濁しながら、おしぼりで手を拭いた。
 たぶん、辻ちゃんとひゃみちゃんは知らないけど、それこそ鳩原ちゃんがいなくなった時に二宮さんは突然ぶっ倒れたのだ。
 鳩原ちゃんがいなくなって、おれたちはB級に降格して、えらい人たちや警察なんかに何度も呼ばれて、でもその度に二宮さんが矢面に立って俺達を先に帰してくれて、自分だけが行って、ランク戦でもなんにも言われないようにガンガン戦って……そういう事をしているうちに、高熱を出した。
 代わりにシフトに入ってくれたつぐみさんが「自分で気付けないんだよね、二宮」と言って困ったように笑っていたのを覚えている。
 だから、おれは今回二宮さんがちゃんと休めたことに、そしてそれを気付いてもらえた事に、こんな時なのに少なからずほっとしていた。また倒れてしまうんじゃないかと思っていたからだ。誰にも気付いてもらえずに。

「つぐみさんがいなくなっても、いつも通りですよね、二宮さん」

 ひゃみちゃんが目を潤ませる。その涙が零れてしまう前に、やたらと活きのいい店員さんが塩タンとキムチとサラダとそれから烏龍茶を持って来たので、「とりあえず食べよっか」と仕切り直した。網の奥で炭火が赤く輝いている。

「……言うべきかわからないんですけど、迷ったんですけどブラックトリガー二宮さんに使ってほしいです」

 ミノを焼き始めた時、ひゃみちゃんが口を開く。当然その話をするためにここに集まったのだけれど、どう口火を切るか迷っていた部分もあったから、それをひゃみちゃんが切り出したのが意外だった。

「犬飼先輩、その肉いけますよ」
「あ、ありがと」
「いいえ。……すみません、いきなり。でもその話をしようとしてたんじゃないかなって思ったので」

 テーブルに備え付けられてるペーパーで口を軽く拭いて、ひゃみちゃんは続ける。

「ブラックトリガーは、生成される時の状況や個人の想いが強く反映されると聞きました。であれば、同じポジションで恋人でもあり、その時そこにいた二宮さんは使えるはずです」
「俺も二宮さんに使って欲しいです。多分、結果を聞かなくても……起動出来たんじゃないかって………東さん、さっきの電話で何か言ってましたか?」

辻ちゃんがご飯の入った茶碗を置いた。

「ううん、きっと二宮さんから話があるだろうからって……でもおれもそう思うよ」
「あ、そういえば辻くんと犬飼先輩はどうだったんですか? 起動テスト」
「出来なかった」
「俺もだよ〜、ひどいよねつぐみさん、結構仲良しだったのにな」

何人か起動できたって噂聞いてたりする? と続けてふたりに尋ねたけれど、ふたりはおなじように首を横に振った。

「……………………二宮さん、ひとりだけ起動できたらいーのにね」

 笑って言ったつもりが、やけにしんと響く。玉ねぎだけが網に残ってじゅうじゅうと音をたてていた。三人でしばらく黙ってそれを見つめる。
 二宮さんだけが、起動できたら。そしたら二宮さんが使わざるを得ないのに。誰かがつぐみさんを取り合いするみたいなのは、余計に胸が痛んだ。

「…………でも無理かあ、つぐみさんみんなと仲良かったしなあ」
「そうですね、楽しい人でした」
「辻ちゃんはイジられてたもんね」
「で、でも嫌じゃなかったですよ。優しかったから」
「うん。優しかったよね」
「優しかったです」

どうしたって、過去形になるのが寂しい。ちょっとしんみりした空気を払うように、「食べよっか!」と仕切りなおす。 まだまだ机の上には肉が残っていた。

「争奪戦があったとして、二宮さんなら負けません」
「うん、おれもそ思う」
「私も」
「…………二宮さんだって、使いたくないはずがないよね」

 二宮さんがブラックトリガーを手にするってことは、二宮さんが二宮隊じゃなくなるってことだ。鳩原ちゃんもつぐみさんもいなくなって、絶対口にはしないけど、二宮さんは寂しくて、悲しいはずだ。おれたちだってそうだ。更におれたちは二宮さんも失う。そう思うとむちゃくちゃ寂しいけど、でもいつだっておれたちのことを、それこそ倒れるぐらい考えてくれる二宮さんの背中を押してあげたかった。きっと今、家でひとり、悩んでるだろう。

「ねえふたりとも、もしさ、犬飼隊いや辻隊でもひゃみ隊でもいいんだけど。入ってくれる? これはスカウトなんだけど」

煙の向こうで、ふたりがしっかりと頷いた。

 店を出て、会計時に貰ったミント味の飴をみんなして開けようとした時だった。スマホと連動させている腕時計が震えて、着信を知らせる。あ、ごめん。とふたりに急いで言って、ポケットから取り出したスマホのディスプレイをタップし、耳に押し当てた。

「二宮さん、体調は大丈夫ですか」

 電話の主は、二宮さんだった。わざとおれが二宮さん、と言ったことで辻ちゃんとひゃみちゃんがぴくりと反応し、心配そうに覗き込む。

「すまん、シフトに穴をあけた」
「大丈夫ですよ。東さんが隊ごと代わってくれたんで。それより体調どうです? 大丈夫ですか?」
「ああ。元から何ともなかったが東さんに無理矢理な……、辻と氷見にも悪い事をした」
「あっ二宮さん辻ちゃんとひゃみちゃんにわざわざ電話しなくても大丈夫ですよ、ふたりともここにいるんで」

 ね、とふたりに顔で合図して、すぐに電話をスピーカーモードにし、ディスプレイを向けた。
 ふたりが、
「二宮さん大丈夫ですか」
「ご飯食べましたか」
 と、言葉が重なるのも気にせず我先にといった様子で急いで話し出す。
 少し間があって、「おまえらもメシ食ったのか」と二宮さんは言った。

「食べましたよ三人でね、焼肉ね」
「……それは勿体無い事をしたな」

 体調が悪いくせに、本当に残念そうに言うからおかしかった。今度は一緒に来て奢ってくださいね、と言うとああ、と返ってくる。
 たったこれだけの、本当に何気ないやりとりだったけど、おれは、何故だかひどく安心した。
 ふたりも同じようだった。

「二宮さん」

電話の向こうに問いかける。

「ブラックトリガー、起動できたんですよね」

 鳩原ちゃんがいなくなった時、二宮さんはおれたちに何度も「大丈夫だ」と言った。いろんな人に呼び出された時も、降格したときも、鳩原ちゃんがもしも帰って来た時の居場所がなくなるんじゃないかって不安に思ったときも、いつだって、大丈夫だと、力強く言ってくれたのだ。だから、おれたちは、ずっと二宮隊いることができた。
 返事がないのが、返事のようだった。時間にして数秒が、長く感じ始めた時、「その話だが――……」と二宮さんが切り出しかけたのを、辻ちゃんが遮る。

「にっ 二宮さん、頑張ってください」

 スピーカーに向かって辻ちゃんは続けた。

「ブラックトリガー、争奪戦があるかもしれないですけど、二宮さんなら大丈夫です。あと俺らも大丈夫です」
「そうですよ、だから二宮さんは心置きなく他の人を蜂の巣にしちゃってください」

ひゃみちゃんもそれに続く。

「…………あは。二宮さん、負けらんないですね」

 東隊が解散した時のことを、おれは知らない。隊を組まないかと声をかけられた時、二宮さんはまだひとりだった。きっと、誰よりも残される側の悲しみを知っている。

「……適正者テストは一週間後だそうだ」

 適正者テスト、つまり争奪戦の日程。それを二宮さんが知ってるってことは、二宮さんは本当にブラックトリガーを起動できたってことだ。わっと3人で目を見合わせる。

「二宮さんなら秒殺ですよ」
「ね、そしたら今度こそみんなで焼肉パーティしましょうよ」
「私はいつもの所がいいです。今日は違う所だったんで」
「安めのとこだったもんね。高いとこ連れてってください」

 電話口で二宮さんが笑った。
 きっと、一週間後はまた焼肉だ。そう思うと、嬉しいような、寂しいような、いろんな感情が入り混じって、誤魔化すように鼻をすすったら、辻ちゃんと被ってちょっと笑えた。